
| タイトル | イエス様が残された模範 |
| 聖書 | 1ペテロ2:18~25 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「イエス様が残された模範」です。
私たちは、恵みによって日々新しくされます。そのゴールがイエス様の似姿です。ですから、私たちは、イエス様が何を語り、何をなさったのかということを、聖書を通して学び、イエス様に倣う必要があります。また、イエス様はそのような私たちのために、模範を残してくださっています。
今日は、主人に苦しめられている僕たちが、忍耐する模範として示されたイエス様の姿を学び、私たちがこの世で理不尽な苦しみを受けるときでも、忍耐できるようにしたいと願っています。
ペテロの手紙第一 2章18~21節
18 しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
21 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された
(新改訳2017)
ペテロは僕たちに対して、敬意をこめて主人に従うように命じています。しかも、その主人が善良な主人だけでなく、意地悪な主人であっても従うように命じています。善良な主人に対して敬意をこめて従うということは簡単なことだと思います。ただ、そのような善良な主人は、この世では多くありません。この善良というのは、内面の良さを示す言葉で、通常人間に用いることはありません。イエス様は、「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。」(マルコ10:18)と、おっしゃいました。ペテロが善良な主人と言ったのも、このような良い主人です。つまり、ただ、親切な主人というのではなく、神様の愛を知り、神様の愛に満たされている主人を指しています。
そうすると、意地悪な主人というのは、性格が悪いというよりも、神様を知らず、神様の愛を受けていないために心が冷たく乾き、正しい行いがわからない主人だと言えます。当時の世の中では、このような意地悪な主人のほうが多かったことは容易に想像できます。
そして、そのような神様の愛を知らずに、自分が何をしているのかわからない主人に対しても、敬意をもって従うようにペテロが命じていることに注目しましょう。それは、この僕たちが、彼らの主人に対して神様の愛を示さなければ、主人たちは救いに導かれないからです。ですから、この僕たちが不当な苦しみを受けても、主に従う信仰をもって忍耐することを神様はお喜びになります。そして、イエス様はその模範を示してくださったことを、ペテロは教えています。
ペテロの手紙第一 2章22~25節
22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
25 あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
(新改訳2017)
イエス様は、この世の横暴で、無慈悲な人たちに対しても、ののしり返したり、脅すこともせず、ただすべてのさばきを父なる神様にお任せになりました。そして、イエス様は、ご自身に対してそのような悪を行う人たちの罪を、その身に負って、その人たちの罪を贖うために十字架にかかってくださいました。
イエス様が、このような犠牲を払ってくださったのは、この世では義とは何か、何が神様に喜ばれることなのかを知っている人がいなかったため、イエス様がたった一人で、世の罪を取り除く神の小羊として、すべての人のために命を捨ててくださいました。それゆえに、イエス様を信じる人は誰でも、罪を離れ、神様の御心にかなった正しい生き方をすることができるように変えられました。
今まで、すべての人は、自分が何をしているのかわからない羊のような生き方をしていましたが、信仰をもってイエス様の愛と恵みを受け取った人は、イエス様が牧者となって導いてくださり、たましいを監督してくださるようになりました。ですから、今度は救いにあずかった信徒が、この世で罪に縛られている人たちが罪を離れて、義のために生きることができるように、イエス様の残された模範に倣い、神様のご愛を示すことが求められています。
ペテロの手紙第一 2章25節
あなたがたは羊のようにさまよっていた。
しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
(新改訳2017)
今日、イエス様が残された模範を再確認しましょう。そして、イエス様が、罪の中で自分が何をしているのかわからないでいる人たちに、神様のご愛と義を示されたように、私たちも苦しみを受けるときも、さばきを主にゆだね、イエス様のなさったご愛を覚えて、忍耐しましょう。
今まで、私たちも神様の御心を痛め、隣人の心を苦しめてきました。そのような私たちをも、イエス様がご自身の十字架の打ち傷のゆえに罪を赦し、癒しを与えて御許に立ち返らせてくださったのですから、私たちもイエス様の模範に倣って人々にイエス様の愛と恵みを現わしてまいりましょう。私たちが、イエス様を見上げて、イエス様に従おうと決心するなら、たましいの牧者であり監督者であるイエス様は、私たちを悪から守り、力を与えて、ご自身の栄光を現してくださいます。