2024年12月29日「幸いな人生」木下淳夫 師

タイトル幸いな人生
聖書詩篇65:1~4
説教者木下淳夫師

 今日は、「幸いな人生」というテーマです。

 この一年間、イエス様に目を向け続けて歩んできましたが、イエス様と歩むことができるのも、主が私たちを選び招いてくださったからです。そのような大きな恵みを、もう一度覚えてこの一年の感謝をお捧げしましょう。

詩篇65篇1~2節

指揮者のために。ダビデの賛歌。歌

1 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。

2 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。

(新改訳第三版)

 この詩篇は「指揮者のため。ダビデの賛歌。歌。」とありますので、作者はダビデだと考えられます。そして、ダビデは静かに神様の御前に出て、神様を賛美しています。ダビデは主なる神様が、ご自身の約束を必ず成就してくださるお方であり、いつも良いものを与えてくださるお方であることを経験していました。ですから、ダビデは、生涯変わることなく主を愛し、主に仕え、主の栄光を現わしたいと願っていたことでしょう。また、自分が主を愛して祝福をいただくだけでなく、この国が永遠に神様の祝福の内にあるように、イスラエルの民も、いつも主を愛し従うという誓願を立てていたのでしょう。

確かに、ヨシュアの時代に、イスラエルの民は主に仕え、主の御声に聞き従うと誓約を立てました。しかし、その後イスラエルはカナンの偶像を拝み、堕落していきました。そのため、イスラエルには争いが絶えることなく、民の内にも平安はありませんでした。しかし、ダビデが王となり、イスラエルを治めるようになって、徐々に周囲の敵からの圧力が減り、主への賛美が回復していきました。

ダビデは主が祈りを聞いてくださる、生きておられる神様であることを知っています。だからこそ、すべての民が、すべての国民が主の御前にへりくだって主の御声に聞き従い、神様の栄光がこの地に輝くことを、ダビデは願っていました。

詩篇65篇3節

3 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

(新改訳第三版)

ところが、現実はきびしいものです。ダビデと言えども、自分の内にある咎との戦いは避けられません。ダビデですら、罪や咎の誘惑と戦い続け、その中で苦しむのですから、多くの人々は当然気づかないうちに罪との戦いの中に置かれていることでしょう。そして、人々の中には罪の誘惑に負けてしまう者もいるでしょう。しかし、ダビデは主が憐れみ深いお方であることを知っています。主がわたしたちの罪を赦してくださると、神様の愛と恵みに信頼しています。この信仰があるからこそ、私たちは主に近づくことができます。

すべてのことをご存じの主の御前に出たとき、だれも罪や汚れがないと自信をもって言える人はいません。たとえ小さな罪であっても、それはきびしいさばきの対象です。ですから、本当ならば、人間は誰も主の御前に近づくことなどできません。しかし、創り主であり、愛なる主は、すべての人を招くため、罪を赦すという道を備えてくださり、ご自身のもとに人々を招いてくださいます。

ダビデの時代、罪の赦しを得るためには、動物のいけにえを捧げました。しかし、現代では、イエス様が完全ないけにえとしてご自身をささげてくださったので、私たちは完全な罪の赦しをいただいて、大胆に御前に進み出ることが許されています。

詩篇65篇4節

4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。

(新改訳第三版)

人間にとっての幸いとは、主に選ばれ、御許に近づけられ、主の大庭に住むことができる人であるとダビデは言っています。初めの人アダムとエバがエデンの園というすべてが整えられた楽園に住んでいたように、主の大庭は人間が生きるために最善の場所で、主の家から良いものがあふれています。

詩篇65篇4節

幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。

(新改訳第三版)

私たちも、この一年を振り返る時、自分の中には罪の誘惑が大きくなり、主から離れそうになったことがあるのではないでしょうか?人生には良いことも、悪いことも起こります。逆境のときに、信仰を失いそうになることもあります。しかし、主は私たちが成長できるように、時として苦しみも与えられます。また、道を外れているときには、戒められます。そのような懲らしめのとき、苦しみの時でも、私たちは憐み深い主により頼むことができます。イエス様が、私たちのすべての罪を背負って、十字架で死んでくださったからです。一人ひとりが霊において生きる者になるため、神様の子どもとして新しく生まれるためにイエス様は、十字架でいのちを捨て、三日目によみがえってくださいました。ですから、主に選ばれ、今、御前に近づくことが許されている皆さんは、幸いな人です。

たとえ困難なところ、悲しい時を過ごすことがあっても、すべてを働かせて益としてくださる主に信頼し、主の大庭に住む恵みを感謝しましょう。そして、私たちも、主を愛し主の御声に聞き従うという誓願を果たさせていただき、この地に神様の栄光が現わされることを祈り求めてまいりましょう。