
タイトル | 主に帰れ |
聖書 | イザヤ44:21~22 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「主に帰れ」というテーマです。
イスラエルは、主の民ではありますが、何度も失敗を繰り返してさばきを受けています。ですから、「旧約聖書の神様は、さばきの神様でおそろしい」と言う人もいます。それでも、主は彼らを見捨てることなく、彼らを招き続けておられます。確かに、主は罪に対しては、きびしいさばきを下されますが、今日与えられているみことばから、主がご自身の民を見捨てることがない愛のお方であることを覚えたいと願っています。
イザヤ書 44章21〜22節
21 ヤコブよ。これらのことを覚えよ。
イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。
わたしが、あなたを造り上げた。
あなたは、わたし自身のしもべだ。
イスラエルよ。
あなたはわたしに忘れられることがない。
22 わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、
あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
わたしに帰れ。
わたしは、あなたを贖ったからだ。」
(新改訳第三版)
イスラエルの民は、神様の民としていただいたことにより、主の祝福を受ける国民にしていただきました。ただ、主に従わなければさばきを受けるということも、彼らに与えられた約束でした。もちろん、イスラエルの民は、神様がエジプトの奴隷状態から彼らを救い出してくださったので、力ある神様との恵みによる契約を喜びました。
しかし、イスラエルの民は、その喜びをいつのまにか忘れてしまい、彼らの神様である主を離れ、他の神々を拝み、人の力により頼みました。その結果、彼らは神様の祝福を失い、国は分裂し、富は他の民族に奪われ、国民の命までも失われていきました。それは、神様が彼らに与えられた罰でした。イスラエルの民は、主との契約を破り、みこころを痛めたため、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされることになり、彼らは神様から与えられたカナンの地を失うことになりました。
主は、このようなきびしいさばきをイスラエルに下されたのですが、決して彼らを滅ぼすために苦しみに合わせたのではありませんでした。彼らが自分たちが犯した罪を認めて悔い改め、主に立ち帰ることを願ったからです。
主は、苦しみの中にあるイスラエルの民に対して、主が彼らをお造りになり、彼らは主のしもべであるということを思い起こさせようとされました。当時のイスラエルで、良い主人に仕えたしもべは家族同様に扱われましたから、主がどれほどイスラエルの民を愛しておられたのかがわかります。そして、イスラエルは主を忘れて他の神々を拝んだのですが、主は彼らを忘れることがないとおっしゃいました。
主は彼らをみもとに帰らせるために、彼らが犯した罪を雲のように、霞のようにぬぐい去ってくださると約束してくださいました。また、主はイスラエルの民を贖ってくださいました。贖いは代価を伴います。主は贖いの代価として多くの人を犠牲にしてでも、イスラエルの民をみもとに引き戻されたということです。それほど、主はイスラエルを主の民としてみもとに帰らせることを大切なこととしておられました。なぜなら、彼らを通してでなければ、全世界の人々に、まことの神様がこの世界を創造し、治めておられることを知ることができないからです。さらに、イスラエルの民を通してでなければ、罪を犯して滅びに向かっているすべての人間に対して、神様の御前で罪を悔い改めるなら、罪が赦されて永遠のいのちを得るという救いの福音を聞くことができないからです。
主に対して罪を犯したならさばきがあります。しかし、主はご自身の民を見捨てることはなさいません。忘れることはありません。罪の報いを十分に受けたなら、主は犯したそむきの罪を雲のように、罪を霞のように拭い去ってくださり、「わたしに帰れ」と呼びかけてくださいます。
今日、覚えていただきたいことは、私たちが主によって新しく造られたものであり、主のしもべとされるだけでなく、また、神様の子どもという特権が与えられているということです。そして、私たちがそのような驚くような恵みをいただくことができたのは、主がひとり子イエス様を、私たちにお与えくださり、私たちの罪を贖ってくださったからです。
私たちは生まれながらに罪を犯しています。しかも、自分が罪を犯しているという自覚すらもありません。ですから、この世に生まれてから、何も気がつかないうちに死への人生が始まっています。ですから、父なる神様は、私たちに救いの手を差し伸べてくださいました。何も知らずに永遠の滅びに向かっていた私たちの罪をぬぐい去るために、主はイエス様を贖いの代価としてくださり、私たちに「わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」と招いてくださいました。
私たちは、イエス様を信じる信仰によって、それまでのすべての罪を拭い去っていただき、神様の子どもにしていただきました。また、救われた後も、罪を犯すことがありますが、主はイエス様の十字架の血潮のゆえに、罪を認めて悔い改めるなら、その罪を拭い去ってくださいます。
イザヤ書 43章22節
「わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
(新改訳第三版)
この招きのみことばを聞いて、いつも主のみもとにとどまらせていただきましょう。