2026年2月15日「復活のイエス様との出会い」木下淳夫 師

タイトル復活のイエス様との出会い
聖書ヨハネ20:1~18
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「復活のイエス様との出会い」です。

復活のイエス様との出会いは、人を新しくつくり変えます。使徒パウロは、イエス様を迫害していたのに、復活のイエス様との出会いによって、自分の罪を悔い改め、イエス様に従う者になりました。また、イエス様に従っていたペテロたち使徒たちも、イエス様が捕らえられ、十字架に架けられたことによって絶望し、自分たちも捕らえられるのではないかと恐れを抱いていましたが、復活のイエス様に出会ってから、命がけでイエス様がキリストであることを証する弟子に変えられました。

そして、今日はイエス様との出会いによってマグダラのマリヤがどのように変えられたのかを学び、私たちも復活のイエス様に目を向けて、悲しみを喜びに変えていただきたいと願っています。

ヨハネの福音書20章1~10節

1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」

3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。

4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。

5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。

6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、

7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。

8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。

9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。

(新改訳第三版)

 イエス様の墓へ行った女性は、何人かいるのですが、ヨハネの福音書を見ると、マグダラのマリヤだけは、他の女性たちと行動が異なっていました。彼女は墓の前から石が取り除けられているのを見て、すぐにイエス様のからだが盗まれたと考えて、すぐに走って弟子たちに知らせに行きました。マリヤの知らせを聞いて、行動に移したのは、ペテロとヨハネです。二人はイエス様が埋葬された墓に走っていきました。

 ペテロとヨハネが見たのは、次の三つの出来事です。大きな石が取り除かれていたこと、墓の中ではイエス様の遺体がなくなっていたこと、そして、イエス様のからだに巻いていた布が残されていたことです。しかも、頭に巻かれていた布は誰かがほどいたのではなく、イエス様のからだが消えてしまったかのように、巻かれた形のまま残されていました。この様子を見て、ペテロは何が起こったのか理解できないでいましたが、ヨハネはイエス様の復活を信じました。

ヨハネの福音書20章11~18節

11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。

13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」

16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。

17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」

18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

(新改訳第三版)

 ペテロとヨハネは、墓を確認してから帰って行ったのですが、マリヤは墓の前にとどまって一人で泣いていました。そして、泣きながら墓の中を覗き込むと、二人の天使が座っているのが見えました。その天使はマリヤに「なぜ泣いているのか」と語りかけました。マリヤはイエス様のからだがなくなった悲しみが大きく、天使を見ても恐れを抱くこともありませんでした。また、マリヤは後ろに立っておられたイエス様を見ても、そこにおられたのがイエス様だと気がつきませんでした。しかし、イエス様がマリヤの名前を呼んでくだったので、その呼びかけによってマリヤは、目の前の人がイエス様であることに気付きました。

 イエス様は、マリヤに弟子たちのところに行って「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」と伝えるように命じました。そして、マリヤは弟子たちのところへ行って、「私は主にお目にかかりました」と言って、イエス様に命じられた通りのことを伝えました。

コリント人への手紙第一 15章17節

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

(新改訳第三版)

 パウロは、もしキリストであるイエス様の復活がなかったなら、信仰はむなしく、今もなお罪の中にいると言っています。確かに、復活のイエス様との出会いによって、むなしくなっていたマリヤのイエス様に対する信仰は真実なものになりました。

イエス様の復活がなければ、イエス様をキリストと信じることは、ただの思い込みになります。死んで墓に葬られたにもかかわらず、神様がよみがえらせたということは、イエス様が罪のないお方、つまりまことの神様であることの証です。また、イエス様の復活がなければ、みことばに忠実に生きることはできません。なぜなら、イエス様が、「わたしはよみがえりである」と宣言しておられたのに、復活されなかったのなら、誰がそのような人のために命がけで従うでしょうか。そして、イエス様がご自分で語られたことを成就しておられなかったのなら、罪から贖うという約束も成就されたとは信じられません。しかし、イエス様は語られたみことばの通り、墓に葬られ三日目によみがえられました。

 マグダラのマリヤは、悲しみのあまり御使いを見ても恐れることもなく、イエス様を見ても園の管理人だと思い込みました。しかし、復活のイエス様との出会いは、彼女の悲しみを喜びに、絶望を希望に変えました。このように、復活のイエス様との出会いは、私たちに信仰による気休めではなく、罪の赦しによる自由と平安を与えてくださいます。苦しい時、悲しい時こそ、復活のイエス様に目を向けて祈り、主の愛の中に休ませていただきましょう。