2026年3月22日「ゲッセマネの祈り」木下淳夫 師

タイトルゲッセマネの祈り
聖書ルカ22:39~46
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「ゲッセマネの祈り」です。

 イースターを前に、もう一度イエス様が私たちのために受けてくださった苦しみを覚えて、与えられた恵みに感謝したいと願っています。 

ルカの福音書22章39~46節

39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。

40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。

41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。

42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。

46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、最後の晩餐と呼ばれる過越しの食事を終えられると、弟子たちを連れてオリーブ山のふもとにあるゲッセマネの園に行かれました。「いつものように」また、「いつもの場所」とありますように、イエス様はエルサレムに来られると、決まってこの場所に来てお祈りをしておられました。

 この日も、イエス様は弟子たちと一緒にこの場所に来ておられたのですが、弟子たちから少し離れてお祈りをされました。イエス様は、このときこのように祈っておられます。

「みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」

これは、自分の身に起ころうとしている苦しみ、つまり、すべての人の罪を背負い、十字架で父なる神様の御怒りを受けるという、さばきを取りのけてくださいという意味です。イエス様がこの世に来られたのは、すべての人の罪を背負って十字架でいのちを捨てるためです。しかし、いざその時が近づくと、イエス様はこの苦しみを取り除けてほしいと願われました。

 それほど、イエス様が受けようとしている苦しみは恐ろしいことでした。イエス様が受けようとしておられた苦しみは、すべて私たちが背負っている苦しみです。罪に囚われて神様から切り離され自由を失う霊的な苦しみ、十字架につけれれる肉体の苦しみ、十字架であざけりののしられる精神的な苦しみ、そして、神様のさばきを受けて永遠の滅びに突き落とされるという苦しみです。このような苦しみを私たち人間は持っています。自分では気づいていないかもしれませんが、このような暗闇の中で、私たちは日々の生活を送っています。

 その罪の苦しみは、まことの神様であるイエス様が取りのけとほしいと願うほどに恐ろしいことです。なぜなら、いのちの源である神様から引き離されて、永遠の暗闇の中で自分が何をしているのかもわからなくなり苦しみ続けることになるからです。その苦しみを私たちの身代わりになって受けるために、イエス様はこの世に来てくださいました。

 

 はじめにイエス様はこの苦しみを取りのけてほしいと願われたのですが、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と、最後まで父なる神様の御心に従い、十字架の道を歩むことを決意されました。その時の祈りがどれほど切実であったのかは、汗が血のしずくのように地に落ちるほどだったことから知ることができます。

 それに対して、弟子たちは悲しみの果てに眠り込んでいました。イエス様は、弟子たちから離れて行くときにも「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と命じられました。しかし、弟子たちはイエス様が命じられたことを守ることができませんでした。そして、繰り返し「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と、イエス様から戒められました。

ルカの福音書22章46節

「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

(新改訳第三版)

 ゲッセマネの園は、イエス様と弟子たちがいつも神様との交わりを持っていた場所でした。しかし、そのような場所であっても、誘惑がありました。弟子たちは、悲しみという誘惑に負けて神様との交わりが絶ち切られ、眠り込んでしまいました。

 私たちも、神様との交わりが大切であることはわかっているのに、霊的に眠り込んでしまうことはないでしょうか?いろいろな誘惑に陥って、神様との交わりを失い悲しみに沈んだり、不安に押しつぶされそうになることはないでしょうか?弟子たちは、悲しみという誘惑に陥ってしまいました。私たちに対しても、思いもつかないような誘惑が、私たちを主から引き離そうとします。主から離れてしまったら、私たちは先が見えない不安に陥り、自由を失い、何をしているのかわからない状況に陥ります。

 このような苦しみから救うために、イエス様は私たちが背負っている苦い杯を飲み干してくださり、罪の贖いを完了してくださいました。そして、二度と罪に囚われて苦しむことがないように、「起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と、命じてくださっています。皆さんをイエス様から引き離そうとする誘惑は何ですか?たとえ大きな試練や誘惑があったとしても、だれもキリスト・イエスにある神様の愛から私たちを引き離すことはできせん。自分が陥りやすい誘惑を自覚して、血の汗を流して祈ってくださるイエス様に目を向けましょう。解決できそうにない苦しみの中であっても、主は私たちを見捨てることはなく、御使いをも遣わしてくださり私たちを力づけてくださいます。そするうとき、私たちはイエス様の愛と御力により、圧倒的な勝利者となります。