2026年2月8日「埋葬されたイエス様」木下淳夫 師

タイトル埋葬されたイエス様
聖書ヨハネ19:31~42
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「埋葬されたイエス様」です。

 イエス様の死と埋葬を通して、ヨハネはイエス様が約束のキリストであることを証していますので、ご一緒にみことばに耳を傾け、私たちの贖いが成就していることを再確認させていただきたいと願っています。

ヨハネの福音書19章31~37節

31 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。

32 それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。

33 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。

34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。

35 それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。

36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。

37 また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言われているからである。

(新改訳第三版)

 十字架刑はローマの権力を示すために行われる見せしめでしたので、死体は木にかけたままにされ、鳥や獣の餌になり、埋葬されることはありませんでした。ユダヤ人たちは安息日が木に架けられた遺体によって汚されることを避けようとして、ピラトに遺体を取り除けるように願い出ました。

 ユダヤ人たちが、安息日に遺体が残らないようにしてほしいと願い出たので、兵士たちは受刑者の死を早める処置をするために出て来ました。そして、まだ生きていた二人のすねを折りました。兵士たちがイエス様のところに来ると、すでにイエス様が死んでいることがわかったので、彼らはイエス様のすねを折ることはしませんでした。それでも、十字架に架けられた人間が、これほど早く息を引き取るということはなかったので、兵士のうちのひとりがイエス様のわき腹を槍で突き刺しました。すると、傷口から血と水が出て来ました。これはイエス様が完全に息を引き取っておられたことの証拠と考えられます。

 ヨハネは、イエス様が亡くなった状態であっても、預言が成就されていることを記しています。まず、イエス様だけが骨を折られることがなかったことです。これは、詩篇34:20「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」というみことばの成就です。また、出エジプトの時に屠られた小羊は骨を折ってはならないと命じられていたことから、イエス様が過越しのいけにえとして屠られた小羊であることを示しています。また、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」というのは、ゼカリヤ12:10に記されている預言です。これは再臨の主が突き刺された者であることを示しています。イエス様が、十字架につけられたのに埋葬され、また、骨を折られることもなく、槍で突き刺されたということは、すべて主によって預言されていたからです。

 ヨハネはこれらの出来事を目撃しました。どこで、どのように生まれるのか、どのような生涯を歩むのか、また、死についても預言されていた人間など、この世に存在しません。ただイエス様こそ聖書に預言されたことをすべて成就したお方であることをヨハネは証言し、すべての人にイエス様が約束のキリストであり、神の御子であることを証しています。

ヨハネの福音書19章38~42節

38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。

39 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。

40 そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。

41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

(新改訳第三版)

 イエス様をキリストと信じていたアリマタヤのヨセフは、イエス様の遺体を十字架から取り降ろすことをピラトに願い出ました。ヨセフは、お金持ちであり、サンヘドリン議会の議員でもありました。ただ、ヨセフは、ユダヤ人たちを恐れて、イエス様の弟子であることは隠していました。しかし、イエス様の最期を目にしたとき、もはや黙っているわけにはいきませんでした。せめて埋葬だけでもさせてほしいと願い出て、自分のために用意していた墓にイエス様のご遺体を埋葬しました。その時、以前イエス様のもとにやって来たニコデモも一緒にイエス様を葬ったことが記されています。

 イエス様を埋葬するということは、イエス様を殺したユダヤ人の指導者たちに敵対することを意味していました。今までサンヘドリン議会の議員として裕福な暮らしをしていたアリマタヤのヨセフとニコデモは、イエス様を埋葬することによってユダヤ人たちから迫害されることも覚悟の上で、イエス様への信仰と愛を公の場で示しました。

ヨハネの福音書19章35節

これを目撃した者が証ししている。
それは、あなたがたも信じるようになるためである。

【新改訳2017】

 復活を信じられない人たちは、イエス様が死んだように見えただけだという人もいます。そのような人たちにもイエス様が完全に息を引き取り、アリマタヤのヨセフとニコデモの手によって埋葬されたことをヨハネは示しています。ヨハネは、十字架の側でイエス様が十字架の死を通して贖いを完了されたこと、すべての預言を成就されたことを目撃しました。そして、その贖いの成就を証しています。それは、イエス様が救い主であることをすべての人が信じて、永遠のいのちを持つようになるためです。贖いが成就していることを信じるということは、自分の罪が赦され、永遠のいのちをいただいていることを確信することです。ですから、イエス様を信じた私たちは、ヨハネのように、まだ救いに与っていない人たちのために十字架の真実を大胆に語り続けてまいりましょう。