2026年3月1日「信じる者になろう」木下淳夫 師

タイトル信じる者になろう
聖書ヨハネ20:24~29
説教者木下淳夫師

今日のテーマは、「信じる者になろう」です。

 みなさんは聖書のみことばを信じていますか?日本では、聖書のみことばをそのまま信じている人は少ないかもしれません。クリスチャンであっても、聖書に記述されている奇跡が科学的ではないとして信じていない人がいるかもしれません。日常生活の中で経験したことがないので、すぐに真実であると受け入れることができないのでしょう。

そのため、ある人たちは、自分と自分の周囲の人が理解できる範囲で聖書を語ろうとします。なぜなら、それがわかりやすい「お話」だからです。しかし、そのような「お話」では、だれも永遠のいのちを得ることはできません。

今日はすべての人が永遠のいのちを得るために必要な、信仰による応答の大切さを、イエス様が語られたみことばから学ばせていただきたいと願っています。

ヨハネの福音書20章24~29節

24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。

26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。

27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

(新改訳第三版)

ユダヤ人たちを恐れて戸を閉めて隠れていた弟子たちは、よみがえられたイエス様にお会いして喜びましたが、トマスはその時、その場所にはいませんでした。トマスは他の弟子たちが喜んでいる様子を見て驚いたと思います。また、自分だけ仲間はずれにされたと感じたのかもしれません。彼は、他の弟子たちからイエス様を見たという証言を聞かされても、その言葉を信じませんでした。そして、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と、言っています。

八日後、そのようなトマスのために、イエス様は再び姿を見せてくださいました。そして、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。」と、おっしゃってご自分の手とわき腹の傷跡を示されました。そして、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と、お命じになられました。トマスは、自分が言っていたことをイエス様がご存じであることに驚いたかもしれません。トマスはイエス様の傷跡に触れることなく、イエス様が生きておられることを信じました。そして、イエス様がまことの神様であるということを告白しました。

イエス様は、トマスに「見ずに信じる者は幸いです。」とおっしゃってくださいました。イエス様は、十字架にかかられる前から、ご自身の死と復活について予告しておられましたから、トマスが他の弟子たちからよみがえられたイエス様が現れたと聞いてすぐに彼もご自身の復活を信じてほしいと願っておられたのでしょう。しかし、トマスは自分で確かめるまで信じないと、心をかたくなにしてしまいました。それでも、イエス様はトマスを見捨てることなく、ご自身を現わし、トマスの悲しみや恐れ、疑いの心をもご存じであることを示して、まことの信仰を与えてくださいました。

ヨハネの福音書20章27節

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

(新改訳第三版)

 私たちもトマスと同じように、イエス様がよみがえられたことを伝えられても、証拠を見るまでは信じないことがあるかもしれません。また、聖書の他の個所についても、非科学的だといって証拠を求めるかもしれません。しかし、イエス様が語られるみことばは、時として私たちの理解を超えているので、すべてを自分たちのことばで説明したり、理解したりすることはできません。だからといって、聖書の記述が偽りだということはできません。なぜなら、聖書のみことばが真実ではないという証拠をだれも提示することができないからです。

 イエス様の復活に関して、ある人たちは真実ではないとして信じません。たしかに、イエス様がよみがえられたという物的証拠は現代には残っていませんが、それによって復活が真実ではないという証拠にはなりません。物的証拠はありませんが、復活のイエス様を見たという証人はたくさんいます。それが使徒たちであり、使徒たちの証言が聖書に記されています。復活を信じない人たちは、使徒たちの証言も作り話だと考えます。しかし、偽りの教えを広めるために、犠牲を払う人はいません。作り話のために自分のいのちを投げ出す人はいません。使徒たちの多くは、復活のイエス様を証することによって迫害され殉教しています。

 みなさんは、私たちに与えられた福音を信じていますか?イエス様が私たちの罪のために十字架でいのちを捨てられたこと、墓に葬られ三日目によみがえられたことを信じていますか?イエス様が「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と、私たちにも命じておられる御声を聞いて、信仰をもってイエス様を「私の主。私の神。」として心にお迎えしましょう。