タイトル | 公義をもたらす主のしもべ |
聖書 | イザヤ42:1~4 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「公義をもたらす主のしもべ」というテーマです。
私たちが暮らす現代は、悪いことが満ちた曲がった時代です。このような時代に公義をもたらしてくれる主のしもべに望みを置きたいと願っています。
イザヤ書 42章1節
1 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
(新改訳第三版)
ここで主が「見よ」とおっしゃったしもべは、特別なしもべです。そのしもべがどのような人物なのか、主は説明してくださっています。
「わたしのしもべ」と、主ご自身がおっしゃることから、このしもべは、主に忠実なしもべであることがわかります。主は、この忠実なしもべを、人々に遣わすので、人々に「見よ」と注意を呼びかけておられます。それほど、遣わされるしもべは、人々に大きな影響を与えるということです。
遣わされる主のしもべは、主ご自身が支えておられる人です。どんなときでも、まことの神様がそのしもべとともにおられ、彼の働きを支えておられます。ということは、しもべが行うことは、彼の考えによるのではなく、主ご自身の働きを、そのしもべが目に見える形で行っていることを意味しています。
主の心が喜ぶというのは、主と心を一つにしているということです。今までにも、アブラハムやモーセ、ダビデやエリヤなど、主に従い、主の御用のために用いられた主のしもべはいました。しかし、主の心が喜ぶしもべ、主とまったく同じ心を持つ人はいませんでした。主は、ご自身の御心を正しく伝えるために、特別なしもべをお選びになり、人々に遣わしてくださいます。
主の霊が授けられていることから、このしもべが主ご自身と一つであることがよくわかります。この天地万物を支配しておられるまことの神様である主が、ご自身と同じ心を持ったしもべをお選びになり、この世にお遣わしになるのは、この地の国々に公義をもたらすためです。この地には、人間の悪が満ちて、高慢や貪欲により、正しいことが曲げられ、力あるものが自分の思い通りに、裁きを行い、貧しい者、弱い者たちが虐げられています。そのような世を正しく導くために、主はご自身の忠実なしもべをお遣わしになるとおっしゃいました。
イザヤ書 42章2〜4節
2 彼は叫ばず、声をあげず、
ちまたにその声は聞かせない。
3 彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
4 彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、そのおしえを待ち望む。
(新改訳第三版)
このしもべは、主が支えておられるので、この世の権力者よりも力を持っています。しかし、彼はこの世の権力者のように、叫んだり、大きな声をあげたり目立った行動をとることはありません。また、この世の権力者が、弱い人たちを虐げるようなことをせず、真理のみことばにしたがって、人々をさばき正しい道を示します。このような働きをすると、当然その時代の権力者からは迫害されます。それでも、彼は衰えることなく、くじけることもありません。そして、最終的には、この地に公義を打ち立て、世界中の人たちが、彼の教え、彼が語る真理のみことばを待ち望むようになります。
主がお遣わしくださる主のしもべは、この世の権力者とは異なり、弱った人たちを見捨てることなく、どんなに困難な中にあっても、くじけることなく、最後には主の御心を成し遂げて、この地に公義をもたらすと約束されています。だからこそ、主は、このしもべに目を向けるようにとおっしゃっています。
ここで語られている主のしもべは、イエス様を指しています。当時の人たちは、本当にこのようなしもべが存在するのかと疑ったかもしれませんが、新約聖書の時代に生きる私たちは、イエス様がこの預言の通りのお方であることを確かめることができます。イエス様は、この世を歩まれた時、いつも父なる神様と一つであると、人々に語られました。その通り、どんなときでもイエス様は父なる神様にお祈りして、その交わりを深めておられました。また、言葉においても、行いにおいても、主の御心を現しておられました。特に、弱い人たちに対してイエス様が示してくださった御愛は、この預言の通りだとわかります。また、イエス様はユダヤ人たち、ローマからも迫害され、苦しめられましたが、くじけることなく十字架の死すらも忍んでくださり、勝利されました。
しかし、まだこの地に公義はもたらされていません。だからと言って、預言が外れていないのではありません。これから後に成就します。つまり、イエス様が再臨されるときにこの預言は成就します。ですから、私たちは、イエス様が再びこの地に帰ってきてくださり、公義を打ち立ててくださること、そして、真理のみことばによって導いてくださることを期待することができます。
1 節 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。
現代は悪を行う人が得をしているように見える曲がった時代です。しかし、イエス様が再び来てくださるなら、イエス様は主に従う私たちの声を聞いてくださり、真理によって私たちを救ってくださいます。