
| タイトル | 私たちは選ばれた |
| 聖書 | ヨハネ15:16~17 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「私たちは選ばれた」です。
私たちの生活は、毎日、何をするのか選ぶことがたくさんあります。子どもたちは、夏休みですが、毎日、何の宿題を宿題をしようか、あるいは、勉強しないで遊ぼうかと、自分がすることを選んでいます。大人も仕事をする順番や方法を考えて選びます。食事も何を食べようか選びます。
そして、何を信じるのかと言うことも、私たちは選ぶことができます。ここにいらっしゃる皆さんは、自分で教会に行くことを選んでくださったと思いますが、今日の聖書個所は、私たちが自分で選んでイエス様を愛して、礼拝しているはずなのに、実は、私たちの方がイエス様によって選ばれているという恵みを受けているという真理を、みことばから学ばせていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書15章16~17節
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
(新改訳第三版)
ユダヤでは、弟子が先生を選ぶことが普通です。ですから、その場にいた弟子たちは、自分がイエス様を選んで従ってきたと考えていたことでしょう。弟子たちは、イエス様が約束のメシアであると信じて、仕事も捨ててイエス様に従っていましたから、自分でイエス様を信じると決めたのだと言えるでしょう。
しかし、イエス様は、弟子たちに対して、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだ」とおっしゃいました。弟子が先生を選ぶユダヤで、先生であるイエス様が、ここにいる弟子たちを選ぶ理由は、本来ならまったくありません。また、選ぶ必要もありません。福音書を読めばわかると思いますが、この弟子たちはすぐにだれが一番偉いかと争ったり、イエス様のそばに来た子どもたちを追い返して、イエス様に叱られたり、嵐に遭ってパニックになってしまったり、本当にこの人たちは、イエス様の弟子だろうかと疑いたくなるような失敗を繰り返していました。日本で行われる入学試験や、採用面接があったら、おそらく彼らはイエス様の弟子として選ばれることはなかったことでしょう。ところが、イエス様はこのような弟子たちを、イエス様がお選びになったとおっしゃいました。しかも、その選びは、彼らを弟子ではなく、愛する友として、御許にいてほしいという招きです。
また、イエス様は、彼らを選んだだけでなく、任命したとおっしゃいました。イエス様は、この弟子たちをご自身の御許で休ませ、みことばを学んで神様の御心を知らせ、彼らを神様の愛を伝える者としてお遣わしになりました。
このように、イエス様が弟子たちをお選びにより、御許において学ばせ、この世にお遣わしになるのは、神様の御許を離れている人々を、神様に立ち返らせるためです。ぶどうの木につながる枝が実を実らせるように、イエス様につながる弟子たちが、人々をイエス様の御許に招き、その人たちがさらにイエス様につながって新しい枝となっていくため、イエス様は、最初の枝として弟子たちをお選びになりました。
ここで思い出してほしいことがあります。罪を持った人間は、聖なる神様に近づくことができません。しかし、イエス様がお選びになったのなら、話はちがいます。イエス様は、弟子たちを選び、イエス様の名によって父なる神様に祈り求めることを許可されました。そして、父なる神様が弟子たちの祈りを聞いてくださること、神様が弟子たちを愛しておられること、イエス様が人間と神様の仲介者として、生きて働いておられることを、人々が知って主に立ち返るために、イエス様は、弟子たちを選び、神様の愛を体験させて任命し、お遣わしになられました。このすばらしい神様の愛の交わりの中にいるために、弟子たちがしなければならないことは、互いに愛し合いなさいという、イエス様が命じられた戒めを守ることです。
ヨハネの福音書15章16節
あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
(新改訳第三版)
私たちも、イエス様に選んでいただいたからこそ、今ここにいます。日本では信仰の自由がありますので、何を信仰しても構わないとされています。その中で、自分はキリスト教を選んだと考えている人がいると思いますが、今、イエス様は、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」と、おっしゃっています。自分には何も良いところがないかもしれません。かえって神様の邪魔をするような者かもしれません。しかし、イエス様はこのような私たちを選んでくださり、御許に招いてくださいました。私たちのためにいのちを捨てて、神様の愛の中に立ち返ることができるように、すべての罪を洗いきよめてくださいました。そして、ご自身につながる枝としてくださり、私たちを遣わし、私たちを通して救われる人を起こしてくださいます。この選びの恵みを感謝しましょう。そして、もう一度イエス様が命じられた互いに愛し合いなさいという戒めをおぼえて実践して、一人でも多くの人が神様の愛に立ち返ることができるように、お祈りしてまいりましょう。