タイトル | 使徒たちの生きがい |
聖書 | 1テサロニケ3:1〜10 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「使徒たちの生きがい」というテーマです。
皆さんの生きがいは何でしょうか?そうは言っても、私も自分は何を生きがいにしているのかと聞かれたら、考え込んでしまいます。福音を宣べ伝えていたパウロたちは、困難の連続でしたが、その中でも慰めを受け、喜び、生きがいを持っていました。この生きがいを私たちも学ばせていただきたいと願っています。
テサロニケ人への手紙第一3章1〜5節
1 そこで、私たちはもはやがまんできなくなり、私たちだけがアテネにとどまることにして、
2 私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、
3 このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。
4 あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。
5 そういうわけで、私も、あれ以上はがまんできず、また誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思って、あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです。
(新改訳第三版)
パウロたちはなんとかテサロニケにとどまりたいと願っていたのですが、このままでは自分たちだけでなく、テサロニケの兄弟姉妹が危険であると考えて、テサロニケを離れることにしました。それほど、新しく生まれた教会に対する迫害がきびしかったと言うことできます。パウロは、テサロニケを離れてアテネにとどまったのですが、テサロニケの兄弟姉妹が誘惑者に惑わされて、イエス様から離れてしまうのではないかと心配して、テモテを遣わしました。
テモテについて、パウロは「私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテ」と言っています。テモテは、パウロやテサロニケの兄弟姉妹と同じ、イエス・キリストを信じて救われた主にある兄弟であり、キリストの福音をいっしょに宣べ伝えるという神様に任された働きをしている同労者であると言っています。パウロは、自分がテサロニケに行くことができないため、自分の代わりに信頼できる同労者としてテモテを遣わしました。
パウロがテモテを遣わした理由は、信徒の信仰を強め励まし、苦難の中でも動揺する者がひとりもないようにするためでした。パウロは、福音宣教によって苦難に会うことを知っていましたし、覚悟もしていました。そして、パウロだけでなく、キリストの弟子となった者は、恵みを受けるだけでなく苦しみも受けることを、パウロは包み隠すことなく教えていました。それは、イエス様ご自身が苦しめられたこと、また、ユダヤにいたイエス様の弟子たちが迫害されてきたことを、パウロは知っていたからです。知っていたと言うよりも、パウロは、自分がイエス様の弟子たちを迫害する立場でした。ですから、すべての信徒は、サタンに惑わされる人たちによって苦しみを受けるようになるという啓示を確信していました。だからこそ、新しく神様の子どもになったテサロニケの信徒が誘惑を受け、動揺して信仰が弱ることがないようにと願っていました。
テサロニケ人への手紙第一3章6〜10節
6 ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。
7 このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。
8 あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。
9 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。
10 私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。
(新改訳第三版)
パウロはキリストの弟子たちに対する迫害がどれほどきびしいものか、よく知っていましたから、テサロニケの兄弟姉妹が心配で仕方がなかったのですが、帰ってきたテモテが良い知らせを伝えてくれて慰めと、この上ない喜びを受けました。テサロニケの信徒は、パウロたちが伝えた福音を信じて、キリストに従うことを選んだために苦しみにあったのですが、彼らは決してパウロたちを恨むことはなく、それどころかパウロたちのことを親切に考えていて、パウロたちとの交わりを切実に願っていました。
パウロが、どれほどテサロニケの兄弟姉妹のことを愛していたのか、どれほど彼らが神様の子どもとして生きることを願っていたのか、パウロが「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」と言っていることから、よくわかります。そして、パウロは彼らの顔を見て、いっしょに主を崇め成長するときが来ることを願って、昼も夜も熱心に祈っていると伝えています。
私たちも、兄弟姉妹が祈っていてくれるとき、とても慰められ、励まされます。逆に、私たちが兄弟姉妹のために祈るとき、どんなことをお祈りするでしょうか?兄弟姉妹が、困難な状況から救われることはもちろんですが、それ以上に一人ひとりが主に信頼し、信仰に堅く立つことを願っていることを思い起こすのではないでしょうか。兄弟姉妹が愛と信仰を持って祈るとき、主はその祈りを聞いてくださいます。しかし、本当に大切なことは、一人ひとりが祈りを聞いてくださる力ある神様に結び合わされ、失われることがない希望をもって、どんな困難ななかでも堅く立つことです。
テサロニケ人への手紙第一3章8節
あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。
(新改訳第三版)
罪に死んでいた私たちですが、イエス様がいのちを与えてくださいました。イエス様は、私たちが主にあって生きることを、何よりも願っておられました。だからこそ、十字架で命を捨ててくださいました。ですから、私たちが主にあって堅く立っているなら、私たちのうちにおられるイエス様とともに生きることができます。また、主にある兄弟姉妹は、ともに喜び、ともに悲しみ、ともに生きます。私たちは、同じ信仰に立つ兄弟姉妹と、主イエス様の恵みと助けをいただいて、いっしょに困難を乗り越えることができます。人生にはさまざまな辛いこともあると思いますが、主イエス様から目を離さずに従うなら、必ず希望を持って生きることができます。