2022年4月3日「喜んで与えよう」木下淳夫 師

タイトル喜んで与えよう
聖書2コリント9:1~7
説教者木下淳夫師

 今日は「喜んで与えよう」というテーマです。

 最近は、大きな災害も頻発するようになり、義援金を集める機会も増えました。また、現在はウクライナでは、多くの人が支援を必要としています。そのような社会で、私たちはどのように献金すべきなのか、みことばから学ばせていただきたいと願っています。

コリント人への手紙第二9章1〜5節

1 聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。

2 私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。こうして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。

3 私が兄弟たちを送ることにしたのは、この場合、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。

4 そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。

5 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。

(新改訳第三版)

 コリント教会の兄弟姉妹は、救いの恵みに与り、愛と喜びに満たされていました。そして、自分たちのことばかりでなく、エルサレム教会が、困難の中にあることを知って、彼らのために献金を集めようと動き始めました。その熱心さにパウロは感動し、彼らの愛から出る奉仕を賞賛し、アカヤの兄弟姉妹にも彼らがエルサレム教会のために献金を集め始めたということを知らせました。すると、アカヤの人たちはコリントの熱心な信仰を聞き、自分たちもエルサレム教会のために献金を集めようと奮起しました。そのように、コリントの人たちが自分から始めた愛の行いは、多くの人の心を動かしました。

 ところが、パウロのもとに、コリント教会で献金を募る働きが成し遂げられていないという知らせが届きました。パウロは、マケドニヤの兄弟と一緒にコリント教会を訪問しようとしていました。もちろん、マケドニヤの兄弟は、コリント教会が最初にエルサレム教会への献金を集め始めたことを知っていましたし、その熱心さに感動していました。ですから、そのマケドニヤの兄弟がコリントへ行った時に、パウロが言っていた熱心さも愛も献金もなかったなら、彼は失望し、コリント教会は恥をかき、コリント教会を誇ったパウロも、恥ずかしい思いをすることになります。ですから、パウロは、自分がコリントへ行く前に、彼らがエルサレム教会に対して示した最初の愛を思い出し、献金を集めて欲しいと手紙に書いています。

 パウロは、彼らが父なる神様の御愛を知り、キリストがすべてを与えてくださったように、自分たちも喜んで分け与えようと決心したことを知っていました。だからこそ、彼らの熱心な信仰がよみがえり、献金の奉仕も全うされることを期待していました。ただ、パウロは使徒として、また、彼らの指導者として、無理やり献金させようとは思っていません。彼らが神様の栄光のために、好意に満ちた贈り物として、用意することを望んでいました。

6〜7節

コリント人への手紙第二9章6〜7節

6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

(新改訳第三版)

 エルサレム教会は、非常に困窮していました。ですから、たくさんの献金が集まれば、彼らの助けになるということは、だれでもすぐに理解できます。しかし、パウロは金額も大切ですが、それ以上に喜んで与えることの大切さを教えています。

 6節「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」

「少しだけ」は、惜しんでという意味です。イエス様は、神殿で2枚のレプタ銅貨という、当時一番価値のない硬貨をささげた女性を、自分のすべての財産をささげたと称賛されました。彼女は、神様の恵みに感謝して、神様の栄光のためにささげたのですが、イエス様は彼女の信仰と愛をご存知でしたから、彼女の行いを称賛されました。

 また、6節の「豊かに」は、祝福のために、賛美のためにという意味です。これも金額について語られているのではなく、ささげるときの気持ちの持ち方が注意されています。

 そのように、決められているからとか、みんなこれくらいささげるからという尺度で、ささげる金額を決めるのではなく、自分が心に決めたとおりにささげるように、パウロは命じています。

 イエス様は、お金持ちたちが、人からの称賛を得たいために、神殿で人々が見ているところで大金をささげていた行為を非難されました。逆に貧しくて、わずかしかささげることができなくても、心から感謝を持って、神様をほめたたえてささげる人を称賛されました。

7節 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

私たちは、教会で献金をささげます。また、さまざまな募金に協力します。そのとき、このみことばを思い出してください。イエス様が2枚のレプタ銅貨をささげた女性を喜び、称賛されたことを思い出してください。イエス様が、すべての持ち物を分け与え、命さえもあたえてくださったことを思い出してください。私たちは、一人ひとり与えられている財産も、賜物も違っています。だからこそ、一人ひとりが、神様との交わりの中で、感謝と賛美をもって心に決めたとおり、ささげものをしましょう。財産をささげる人、知恵や技術をささげる人、体力や時間をささげる人、それぞれささげるものは違うと思いますが、すべてについて、喜んで神様におささげしたいと願います。