
タイトル | 弟子の優先順位 |
聖書 | ヨハネ12:1~11 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「弟子の優先順位」です。
イエス様の弟子たちは、さまざまなことをイエス様から学んでいました。また、実際に伝道の働きを行ったり、奉仕をすることもありました。そのような多忙な弟子たちでしたから、行動には優先順位をつける必要がありました。今日は、ベタニヤのマリヤの行動を通して、イエス様を信じて従う弟子が、優先すべきことを学ばせていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書12章1~6節
1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
(新改訳第三版)
イエス様は、ユダヤ人の指導者たちの前から姿を隠すように、荒野に近いエフライムにおられましたが、過越しの祭りの六日前にベタニヤに来られました。ベタニヤの町は、ラザロがよみがえったことで、マルタとマリヤだけでなく、町全体がキリストの到来を自分の目で見たので喜びにあふれていました。そして、イエス様が来られると、ベタニヤの人たちは晩餐を用意しました。
そこで、マリヤは非常に高価な、純粋なナルドの香油300グラムを取って、イエス様の足に塗り、自分の髪の毛でイエス様の足をぬぐいました。この行為は、イエス様への愛と献身の現れです。そして、ナルドの香油にい示されているマリヤの愛は、イエス様だけでなく、その家全体に広がり、そこにいたすべての人にも平安を与えました。
しかし、ただ一人イスカリオテのユダだけは、このマリヤの行為を無駄なこととして非難しました。彼はこれほど高価な香油なのだから、300デナリで売って貧しい人に施したら、もっと役に立つと主張しました。ところが、これまで一緒に生活してきたヨハネは、この言葉は建前で、自分が儲けたかっただけだということを知っていました。
ヨハネの福音書12章7~11節
7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
11 それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
(新改訳第三版)
もちろん、イエス様もユダの本心はご存じだったと思います。しかし、イエス様はユダの言葉よりも、マリヤの行いがどれほど素晴らしいことかということを、その場にいたすべての人に説明されました。マリヤは、イエス様が十字架で命を捨てられると言われた悲しいことも、信仰をもって受け入れ、そのための備えとしてこの香油を用意していたのだとおっしゃいました。
さらに、ベタニヤには、イエス様がおられることを聞きつけたユダヤ人たちも大勢やって来ました。彼らはラザロが本当に生き返ったのか、自分の目で確かめようとしました。そして、ラザロが生きていることを確認すると、イエス様だけでなくラザロも殺そうと考えました。なぜなら、ユダヤ人たちの多くが、指導者たちのもとを離れてイエス様に従うきっかけとなったのが、このラザロの復活だったからです。ですから、ラザロを殺し、復活はなかったということにして、人々をイエス様から引き離し、自分たちの支配を広げようと考えました。
ヨハネの福音書12章7節
イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」
(新改訳第三版)
まず、確認しておきたいことは、イエス様を救い主と信じた私たちは、キリスト教の信者になったのではなく、神様の子どもにされ、また、イエス様の弟子になったということです。この世で生活するにあたり、国が宗教法人を管理しやすいように、イエス様を信じる人も、キリスト教という人間的な組織に分類していますが、私たちは組織に属しているのではなく、神様の家族の一員であり、個人的にイエス様につながっています。
ですから、一人ひとりがイエス様に倣い、学び、従う弟子として行動する必要があります。そこで、マリヤがイエス様のために香油を足に塗り、自分の髪の毛でぬぐった行為を見てみましょう。マリヤはイエス様のみことばを信じました。イエス様がすべての人のために十字架で命を捨てられることを信じました。そして、自分がイエス様にできる最高の奉仕を考え準備しました。また、イエス様に対して心からへりくだって奉仕をしました。その行為をイエス様は喜んで受け入れてくださいました。確かに、マリヤが使った香油は、非常に高価だったので、売れば貧しい人たちを助けることもできました。しかし、イエス様は、主に仕えることを第一としたマリヤの信仰を称賛されました。
キリストの体である教会は、さまざまな活動があります。礼拝や、伝道だけでなく、人が生活するうえで必要な食事や掃除など、いろいろなことがあります。どれもとても大切ですが、覚えていただきたいのは、一人ひとりがイエス様の弟子として、イエス様を愛し、イエス様に献身するということです。愛がなければどんな働きも虚しくなります。ですから、私たちは、まずイエス様の弟子として、イエス様のみことばを聞いて学び、イエス様に倣い、その愛をいただいて、互いに愛し合い、その愛をまだイエス様を知らない人たちにも宣べ伝えていきたいと願います。