2025年3月9日「イエス様を出迎えた人々」木下淳夫 師

タイトルイエス様を出迎えた人々
聖書ヨハネ12:12~19
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「イエス様を出迎えた人々」です。

 今日の個所は、過越しの祭りの六日前の翌日ですから、過越しの祭りの五日前の日曜日です。この日、イエス様がエルサレムに入城された時のことが記されています。この箇所を通して、私たちもイエス様をいつも心にお迎えして賛美をささげたいと願っています。

ヨハネの福音書12章12~19節

12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、

13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。

15 「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」

16 初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した。

17 イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大ぜいの人々は、そのことのあかしをした。

18 そのために群衆もイエスを出迎えた。イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからである。

19 そこで、パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、ベタニヤからエルサレムに入られました。エルサレムにはすでにたくさんの人が地方から集まっていて、イエス様が過越しの祭りに来られることを期待していました。ですから、イエス様がエルサレムに来られたことを聞いて、群衆はしゅろの木の枝を取ってイエス様を出迎えました。彼らは「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と、大声で叫んだと記されています。ホサナは、私たちを救ってくださいという意味です。また、イエス様を、イスラエルの王として歓迎しています。ですから、この叫びから、群衆は、イエス様がローマの支配からイスラエルを解放してくれると期待していたことがわかります。

 それに対して、イエス様の行動は意外です。群衆は偉大な王様を迎えるようにしゅろの枝を手に持って出迎えたのですが、イエス様はロバの子に乗ってエルサレムに入城されました。普通、王様なら立派な馬に乗って来られます。しかし、イエス様は、ご自分が立って歩くよりも低くなるようなロバの子の背に乗って、群衆の中を進まれました。この行動は、弟子たちにもわからなかったのですが、イエス様が栄光をお受けになった後、つまり、イエス様が十字架で死なれ、復活された後、弟子たちはゼカリヤ書9章9節に記されている預言の成就であることを知りました。

 過越しの祭りを前にして、エルサレムではローマ軍による警備も強化され、ユダヤ人の指導者たちからも、イエス様を見つけたら報告するようにという命令も出されていたのですが、群衆はイエス様をイスラエルの王として出迎えました。

なぜなら、彼らはイエス様が約束されていたキリストであると確信していたからです。その根拠となったのが、ラザロの復活です。ラザロの復活を目撃した人たちは、その出来事を証し続けました。そして、イエス様がキリストであると語り続けました。そのため、多くの群衆がイエス様を信じて、喜びと期待をもって出迎えました。

ヨハネの福音書12章12~13節

その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

(新改訳第三版)

 エルサレムにいた群衆は、イエス様がなさったしるしを見て、また、その行われた御業を聞いて、イエス様をキリストとして、また、イスラエルの王として喜びをもって出迎えました。

 私たちは、イエス様がイスラエルの救いのためにエルサレムに来られたのではなく、すべての人を救うためにエルサレムに入城されたことを知っています。そして、イエス様は当時の人たちだけでなく、私たちの罪をも背負って十字架で命を捨て、イエス様を信じるすべての人に永遠のいのちを与えると約束してくださいました。そして、よみがえらた後、天に上り、再びこの地上に帰ってくると約束してくださいました。

私たちは、その再臨の主イエス様が帰って来られるのを待ち望んでいるでしょうか?当時の群衆が、ローマの厳戒態勢、また、指導者たちがイエス様を捕らえるように命じていたにも関わらず、イエス様を出迎えたように、私たちはイエス様に期待し、イエス様をまことの王として、出迎えようとしているでしょうか?

当時の群衆はラザロの復活を見たことにより、イエス様を信じました。私たちは、イエス様の十字架と復活を通して、イエス様が生ける神の子キリストと信じました。イエス様が、私たち自身の救い主であると信じました。そのようにイエス様を信じた私たちに、イエス様はいつもともにいてくださると約束してくださいました。イエス様は私たちの心に住んでくださいます。そのために、いつも心の王座を、イエス様に明け渡し、イエス様をお迎えしましょう。そして、ラザロがよみがえった奇跡を見た人たちが、証し続けたように、私たちもイエス様の十字架のみわざを証し続けましょう。いつもイエス様により頼み、イエス様を心に迎え入れ続けるなら、私たちの内には神様の愛が満たされ、心からの賛美があふれるようになります。