タイトル | ダビデが定めた掟 |
聖書 | 1サムエル30:21~25 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「ダビデが定めたおきて」というテーマです。
サムエル第一30章25節
25 その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。
(新改訳第三版)
このように書かれているダビデが定めたおきてを学ばせていただき、私たちも主に喜ばれる愛の行動を行いたいと願っています。
ここまでのあらすじを確認しましょう。
ダビデはサウルから逃げるために、ペリシテ人の地へガテの王アキシュのところへ行きました。そして、アキシュから地方の町ツィケラグに住むことを許されました。そのようにして、ペリシテ人の地に住むことになったダビデは、アキシュの信頼を得るために、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を打って、羊、牛、ロバ、ラクダ、着物などを奪って、アキシュのところに帰っていました。アキシュは、ダビデが同胞のイスラエル人から、これらのものを奪ってきたと思い、ダビデはすっかりペリシテ人の仲間になったと信頼していました。
ところが、ペリシテ人がイスラエルと戦うことになったとき、アキシュはダビデにも戦いに参加するように命じました。ダビデにとっては、非常に心を痛める決断をくださなければなりません。今までは同胞を襲っていると嘘をついていましたが、いよいよ、本当に同胞と戦わなければなりました。
しかし、いざ出陣するというところで、ペリシテ人の首長たちは、ダビデを見て戦いの最中に裏切るかもしれないと思い、ダビデが一緒に戦いに出ることに反対し、ダビデはツィケラグに帰ることになりました。 このように、どこにいてもダビデは守られていたのですが、ダビデがツィケラグに帰ってみると、町はアマレク人に襲われ、女たちは、子どもも大人もみな、連れ去られていました。ダビデは主に伺い、自分たちの妻や子どもたちを取り返すために、略奪隊を追いかけ、主の約束通りその略奪隊を打ち、妻たちを取り返すことに成功しました。さらに、羊や牛を戦利品として持ち帰りました。その戦利品の分配を巡って、ダビデの部下たちの間で争いが起こりました。
サムエル第一30章21~22節
21 ダビデが、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来たとき、彼らはダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデはこの人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。
22 そのとき、ダビデといっしょに行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」
(新改訳第三版)
実は、600人で追撃をしたのですが、途中でついていくことが出なくなった200人の人はそこにとどまり、荷物の番をしました。そして、400人が追撃を続け勝利を収めて帰ってきました。
ダビデは帰ってから、ついて来ることができなかった200人の安否を尋ね、妻や子どもたちを返し、分捕りものをわけようとしました。ところが、ダビデと一緒に行った者たちの中にも、意地の悪い、よこしまな者たちがいて、彼らはついてこなかった者に分け前を与える必要はないと言いました。
ダビデはそのようなことを言う者たちに、このように言いました。
サムエル第一30章23~24節
23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」
(新改訳第三版)
ダビデは、略奪隊に追いつき、彼らを打ち破って妻や子どもたちを救出することができたこと、それに加え羊や牛の戦利品を得ることができたのはすべて主が賜ったもの、主の恵みであると言っています。確かに400人の者はダビデに従って略奪隊と戦いましたが、誰かの働きによって勝利したのではない、ただ主が略奪隊を自分たちの手に渡してくださったから勝利した。だから、主の恵みは兄弟がともに分かち合うべきであるとして、追撃することができず荷物のそばにとどまった200人の者にも同じように戦利品を分配しました。このダビデが同胞を愛し、主の恵みをともに分かち合うことがイスラエルのおきて、定めとされました。
私たちは、働いたならそれに見合った報酬を得ます。逆に働いていないなら報酬を得ることはできません。ところが、ダビデは戦いに行かなかった者も、戦った者と同じように報酬を与えることをイスラエルのおきて、また、定めとしました。
ダビデは、略奪隊に追いつき、彼らを打ち破って妻や子どもたちを救出することができたこと、それに加え羊や牛の戦利品を得ることができたのはすべて主が賜ったもの、主の恵みであると言っています。確かに400人の者はダビデに従って略奪隊と戦いましたが、誰かの働きによって勝利したのではない、ただ主が略奪隊を自分たちの手に渡してくださったから勝利した。だから、主の恵みは兄弟がともに分かち合うべきであるとして、追撃することができず荷物のそばにとどまった200人の者にも同じように戦利品を分配しました。このダビデが同胞を愛し、主の恵みをともに分かち合うことがイスラエルのおきて、定めとされました。
私たちは、働いたならそれに見合った報酬を得ます。逆に働いていないなら報酬を得ることはできません。ところが、ダビデは戦いに行かなかった者も、戦った者と同じように報酬を与えることをイスラエルのおきて、また、定めとしました。
ローマ人への手紙12章15節
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
(新改訳第三版)
ダビデが定めたイスラエルの愛のおきては、恵みの時代になっても変わることはありません。なぜなら、主にある兄弟姉妹はみなキリストのからだの部分だからです。からだの一部でも傷んだのなら、からだ全体が痛みを感じます。ですから、辛い思いをしている人と、同じ痛みを負い、そして、主が与えてくださる喜びもともに分かち合うことを、教会のかしらであるイエス様は、教会のおきてとしてお定めくださいました。
私たちもダビデが同胞を愛したように、また、イエス様が罪人であった私たちすべての人間を愛してくださったように、互いに愛し合い、喜びも悲しみも分かち合って一緒に主とともに歩んでいきたいと願います。