2025年2月23日「イエス様を捜す人たち」木下淳夫 師

タイトルイエス様を捜す人たち
聖書ヨハネ11:54~57
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「イエス様を捜す人たち」です。

 当時、イエス様はユダヤで最も有名な人だったと思われます。それは、イエス様が行くところどこででも多くの人が集まっていたことから想像できます。今日は、イエス様を多くの人が捜していた当時の様子を考慮しながら、現代の私たちもイエス様から離れることがないようにし、また、救い主イエス様を捜している人たちにイエス様を紹介したいと願っています。

ヨハネの福音書11章54~57節

54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。

55 さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。

56 彼らはイエスを捜し、宮の中に立って、互いに言った。「あなたがたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか。」

57 さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。

(新改訳第三版)

 死んでいたラザロがよみがえったことにより、多くの人がイエス様をキリストだと信じるようになりました。しかも、過越しの祭りというイスラエルの民が、最もローマの支配から解放されることを期待するときが近づいたタイミングですから、イエス様をキリストと信じ、またイスラエルの王と信じて従う人たちは、イエス様がローマを倒して、イスラエルに自由が与えられることを期待するようになりました。

そのような人たちとは逆に、ローマから地位や特権を与えられていた人たちの間では、イエス様が王になったら、自分たちの地位が危ないと考え、イエス様を捕らえて殺そうとする計画が進められるようになりました。ですから、イエス様はユダヤ人の指導者たちから隠れるため、荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入って弟子たちといっしょに滞在されました。

 ここで過越しの祭りについて、復習しましょう。過越しの祭りは、イスラエルの民がエジプトで奴隷であった時代に、主がイスラエルをエジプトから解放してくださった出来事を記念する祭りです。主はモーセに、家族ごとに小羊を屠り、その血を家の門と鴨居に塗るようにお命じになられました。それは、主がエジプトに住むすべての初子を殺すという恐ろしいさばきを下すために、エジプトに来られたとき、小羊の血が塗られている家にはさばきを下さずに、その前を過ぎ越すと約束されたからです。ですから、この出来事は主の過越しと呼ばれました。そして、主はイスラエルがエジプトから、主によって救い出されたことを民が忘れることがないように、過越しの祭りを祝うように命じられました。

 もともと、主が命じられた祭りですから、地方に住む人たちもエルサレムに上って来て、過越しの祭りをお祝いしていました。それに加えて、この年の過越しの祭りでは、イエス様と言うキリストが現れたのですから、イスラエルの民は、モーセの時代に主がエジプトにさばきを下して、イスラエルを救ってくださったように、自分たちもローマから救い出されることを期待していました。

 この時には、バプテスマのヨハネの働きもあり、多くの人が自分たちの罪を悔い改めて、主に立ち返っていました。そして、そのような人たちは、キリストであるイエス様が、過越しの祭りに現れて、ローマから解放してくれることを期待しました。ですから、彼らは信仰をもって宮に集まり、そこでイエス様が来られることを待ち望んで、イエス様を捜していました。

 ところが、祭司長、パリサイ人たちは、もしもイエス様が現れたなら、イエス様がどこにいるのかを届け出るように、人々に命令を出していました。彼らがイエス様を捜していたのは、イエス様を捕らえて殺すためです。

 この時、まったく異なった理由ではありましたが、誰もがイエス様を捜していました。

詩篇145篇18節

主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。

(新改訳第三版)

 当時の人たちの多くは、まだイエス様が生ける神の御子キリストであるということを知りませんでした。しかし、私たちはイエス様の十字架と復活、また、昇天を通して、イエス様がまことの神様であること、イスラエルだけの王ではなく、全世界の王であることを知っています。そのようなお方が、私たちを愛して友と呼んでくださっています。

 しかし、現代でも悪魔の支配下につながれ自由を奪われている人たちはイエス様に敵意を持っています。また、苦しみからの救いを求めてイエス様を捜している人たちが大勢います。私たちもかつては苦しみの中で救いを求めていました。すると、主は私たちが救い主を呼び求める祈りを聞いてくださいました。そして、私たちは、イエス様に出会うことができました。まことをもって主を呼び求めるなら、主は近くにいてくださることを、私たちは経験しました。ですから、いつもイエス様の十字架を見上げて、イエス様の側を離れずに信仰を持ち続けましょう。そして、まだ苦しみの中にあって救いを求める人たちに、イエス様を呼び求めるなら、イエス様はあなたの近くにいてくださり、救い出してくださるという約束を宣べ伝えてまいりましょう。