タイトル | 救いの福音 |
聖書 | 1コリント15:1-11 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「救いの福音」というテーマですが、「福音」ということばは普段あまり使わないので、読み方すら怪しい人もいると思います。福音とは、国語辞典で調べると、「喜びを伝える知らせ。よい便り。」「イエス・キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。」とあります。
国語辞典では「人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ」と壮大なスケールで福音が説明されていますが、具体的な内容については何も書かれていません。いったい何が喜ばしいのか、また、本当に人類に救いが与えられるのか、初歩的な疑問を今日は聖書から解き明かしてまいりましょう。
コリント人への手紙第一15章1〜2節
1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
(新改訳第三版)
福音はイエス・キリストを通して与えられた、神様から人間への救いの約束です。だれかが考え出したものではありません。そして、福音はイエス様から弟子たちへ、また次人たちへと伝えられました。そして、伝えられた人が、伝えられたことばを十分に理解して、信じて受け入れるなら救いを受けると約束されています。
救いとは、永遠の刑罰、永遠の滅びからの救いです。しかし、多くの人は、「自分は罪を犯していないから福音は必要ない」と思っています。ところが、聖書は造り主である神様に対して背を向けて自分勝手な生き方をすることを罪と呼んでいます。罪を犯したなら罰を受けなければなりません。人に対して罪を犯したなら、この世で人から罰を受けるのですが、神様に対する罪は、最後の審判の時に、神様から罰を下されます。
聖書は、「すべての人は罪を犯した」といっている通り、すべての人は、生まれながらに神様に従わず、自分勝手に生きてきましたから、罪の罰を受けなればなりません。その罰から人を救う方法が、福音にあります。
コリント人への手紙第一15章3〜4節
3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
(新改訳第三版)
「信じるものは救われる」と言われますが、信じる内容が大切です。その信じるべきことは、イエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架で死んでくださったこと、墓に葬られ完全に死んでくださったこと、三日目によみがえられたことです。このことを信じることによって救われます。
信じるということも、注意が必要です。まず、伝えられた福音をよく考えたうえで、「信じます」と心に決めること、そして、信じたなら信じた相手に忠実に従うことです。
そのように福音を信じて従うことよって、救いを受けることができます。この世ではさまざまな善行を積まなければならないとか、修行しなければならないとか言われるかもしれませんが、人間の努力で、自分が犯した神様に対する罪を取り消すことはできません。だれかが罪の罰を受けなければなりません。それをイエス・キリストが十字架で受けてくださったという真理を信じ、罪のために受けなければならない完全な死を通ってくださったことを、自分のためであると信じることです。そして、私たちが新しく生きるために、三日目によみがえられたことを信じることです。
これ以外に救われる方法はありません。
コリント人への手紙第一15章5〜11節
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
(新改訳第三版)
復活については、疑う人も多くいます。しかし、パウロはイエス・キリストの復活が真実であることを、多くの証人がいることによって証明しようとしています。
そして、パウロ自身も復活のイエス・キリストに出会い、教会を迫害していたものであったにもかかわらず、イエス様がパウロを使徒として選んでくださり、福音を伝えるものにしてくださったことを説明しています。
教会では何を教えているのですか?と聞かれることがあります。一言で答えることはむずかしいのですが、一番大切な教えは何かと言われれば、福音であるということができます。
その福音が「キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」だということを覚えてください。そして、この事実を信じてください。そうすれば、だれでも信仰により、私たちのために十字架で命を捨ててくださったイエス・キリストの恵みにより救いを受けることができます。
教会に長く来ている人でも、自分は死んだら天国に行けるだろうかと心配している人がいるかもしれません。しかし、心配することはありません。ここで教えられている福音を信じるならだれでも救いに与ります。
信仰を持ってからも、神様の御心に従いたいと願っているのに、失敗ばかりすると思っていても、救いの約束は変わりません。たとえ失敗したとしても、その度に神様のもとに立ち返ってやり直してください。神様の愛は永遠に変わることがありません。救いの福音にしっかりと立って、平安と喜びをもってこれからの生涯も歩んでまいりましょう。