
タイトル | イエス様の涙 |
聖書 | ヨハネ11:30~37 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「イエス様の涙」です。
日本人がイメージする神は、人間の力をはるかに超えた力を持っていて、どんな願いを叶えてくれたり、悪いことをすると罰するような存在です。イエス様は、すべてを創造した力ある神様であり、最後の審判ですべてのものをさばかれる神様です。それだけでなく、悲しむ人とともに悲しみ、涙を流してくださる、いつくしみ深い友なるお方です。
今日は、イエス様が私たちの弱さに同情してくださり、慰め、癒し、強めてくださるお方であることを、聖書を通して学び、イエス様により頼む歩みをしていきたいと願っています。
ヨハネの福音書11章30~32節
30 さてイエスは、まだ村に入らないで、マルタが出迎えた場所におられた。
31 マリヤとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、マリヤが墓に泣きに行くのだろうと思い、彼女について行った。
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
(新改訳第三版)
イエス様は、マルタがマリヤを呼びに家に帰ったとき、一緒にマリヤのもとに行こうとはされませんでした。このとき、ベタニヤに集まっていた多くの人たちは、マルタとマリヤを慰めるために来ていました。そのような人たちとは違い、イエス様は、マリヤのもとに行こうとせず、村の手前にとどまっておられました。これは、イエス様が彼女たちを慰めに来たのではなく、ラザロを生き返らせるために来たということを示しています。
マリヤは、イエス様が来られたことをマルタから知らされて急いでイエス様のもとに行きました。一緒にいたユダヤ人たちは、それまで悲しみに沈んで家から出ることもしなかったマリヤが、急に立ち上がって家から出て行ったので、マリヤが墓に行って泣こうとしているのだと考えました。そして、彼女と一緒に泣き、彼女を慰めようとして、彼女についていきました。すると、ユダヤ人たちの予想とは違い、マリヤは墓ではなく、イエス様のもとにやって来ました。
マリヤは、イエス様を見ると、イエス様の足元にひれ伏して、マルタと同じように、自分の悲しみをイエス様に打ち明けました。
ヨハネの福音書11章33~37節
33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
35 イエスは涙を流された。
36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか」と言う者もいた。
(新改訳第三版)
マリヤは、マルタと同じように、イエス様に対して素直に悲しみと悔しさを打ち明けました。ただ、マリヤは何人かのユダヤ人たちが心配してついてくるほど悲しんでいました。イエス様は、そのマリヤの深い悲しみ、また、一緒について来たユダヤ人たちの悲しみをご覧になられました。
イエス様は、マリヤの悲しみに共感し、霊において人々に大きな悲しみを与える死に対して憤り、ご自身もまた友であるラザロが死んでしまったことに落胆されました。そして、イエス様はマリヤの悲しみを背負って、ラザロを生き返らせるために、墓に向かわれました。そのとき、イエス様は涙を流されました。
ユダヤ人の指導者たちの間でも、イエス様に対する評価は分かれていましたが、それがここでも現れています。ある人たちは、イエス様の愛と憐みを素直に受け取りました。しかし、ある人たちは、イエス様が自分はキリストだと言いながら、ラザロを救うことができなかったとして非難しました。
ヨハネの福音書11章35節
イエスは涙を流された。
(新改訳第三版)
イエス様は、ラザロが生き返ることをご存じです。また、その奇跡を通して、弟子たちが復活を信じることを願っていました。さらに、イエス様ご自身が、神様から遣わされたキリストであり、よみがえりであり、いのちであることを、弟子たちだけでなく、その場所にいるすべての人が信じるようになることを願っておられました。それでも、イエス様が涙を流されたのは、マリヤの悲しみを、自分の悲しみとしてくださったからです。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。」(ヘブル 4:15)と、ありますように、イエス様はまことの神様であり、力あるお方ですが、私たちの弱さに同情してくださるお方です。悲しみに沈み、嘆いているときに、その悲しみを知り、その悲しみを引き起こす死、また、その原因となる罪に対して、霊において憤り、ご自身もいっしょに涙を流してくださるお方です。
私たちがまことの神様であり、私たちの救い主と信じて従うイエス様は、このような愛にあふれたお方です。いつくしみ深い友なるお方です。私たちのために涙を流してくださる神様は、他にありません。ですから、自分の弱さを隠すことなく、ありのままでイエス様の御前に進み出させていただきましょう。イエス様は、弱さを持った私たちをそのまま受け止め、いやし、強め、きよめてくださいます。