タイトル | 使徒の使命 |
聖書 | ペテロの手紙第二 1:12~19 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「使徒の使命」というテーマです。
ペテロは、この手紙を書いたとき、この世の生涯が終わろうとしていることを知っていました。その生涯の終わりに際して、信徒が偽りの情報に惑わされることなく、正しい信仰を持って欲しいと願い、この手紙を書いています。
今日は、私たちもペテロの思いを受け取り、信仰を固く持つとともに、私たちもキリストの弟子として、なすべき働きを全うしたいと願っています。
ペテロの手紙第二 1章12〜15節
12 ですから、すでにこれらのことを知っており、現に持っている真理に堅く立っているあなたがたであるとはいえ、私はいつもこれらのことを、あなたがたに思い起こさせようとするのです。
13 私が地上の幕屋にいる間は、これらのことを思い起こさせることによって、あなたがたを奮い立たせることを、私のなすべきことと思っています。
14 それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。
15 また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。
(新改訳第三版)
ペテロは、信徒たちに対して、この地上での生活において、いつも神様からの恵みをいただいて、イエス・キリストの似姿にまで成長してほしいと願っていました。ペテロが手紙を書いた信徒たちは、神様がこの世で多くの恵みを与えてくださることを知っていて、いつもイエス様を主と仰ぎ、イエス様に従った生活をしていたようです。しかし、ペテロは、そのような立派な信徒たちに対しても、常に大切な真理を思い起こして、困難な時でも奮い立って信仰に励むことができるように、繰り返し大切な真理を語りました。
私たちも、イエス様を信じる信仰によって救われたこと、救いに与った人は神様の子どもであるということを、いつも思い起こさなければ、悪魔は私たちの行いで欠けているところを見つけては、非難を繰り返して、私たちをキリストの愛から引き離そうとします。ですから、ペテロは当時の信徒たちが、いつも真理に固くたって、誘惑に陥ることがないように、ペテロが地上の幕屋にいる間、つまり、肉体を持って生きている間に、信徒たちがいつも真理の約束を思い起こすことができるように、励まし導くことこそ、自分の使徒としての使命であると考えていました。それは、ペテロ自身が、間もなくこの地上を離れる時が来ると、イエス様に示されたからです。だからこそ、ペテロは、残された時間を精一杯、次の世代の弟子たちが、みことばに堅く立って成長できるように、真理を繰り返し伝えたいと願っていました。また、自分がこの世を去った後も、なお信徒たちが、真理の約束を思い起こすことができるように、手紙という形で伝えようとしています。ペテロは今できる精一杯の方法で、彼らの信仰を支えようとしました。それは、イエス様が、最後の晩餐のときまで、愛を注ぎ続けてくださった模範があったからでしょう。
ペテロの手紙第二 1章16〜19節
16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
17 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
18 私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
19 また、私たちは、さらに確かな預言者のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
(新改訳第三版)
使徒たちが伝えていた福音は、イエス・キリストを信じる信仰によって、罪が赦され永遠のいのちを持つようになるという、すばらしい約束です。ただ、この世の宗教も、立派な教えを持っています。すばらしい約束もあります。しかし、使徒たちが伝えた福音が、他の教えと全く異なるところは、福音は使徒たち人間が考えたものではなく、まことの神様であるイエス様が、人間に対して与えてくださったものであり、イエス様ご自身が、ペテロたち使徒に、直接教えてくださったことだということです。もちろん、ユダヤ人の中にも立派なラビたちがいました。しかし、そのようなラビたちとイエス様がまったく異なるのは、イエス様がまことの神様であることをペテロ自身が経験したからです。
ペテロは、ヤコブ、ヨハネと一緒にイエス様と山に登った時、その山でイエス様の姿が光り輝き、モーセとエリヤが現れ、そこで父なる神様が、天からイエス様に「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である」と、語られたみ声をペテロは聞きました。ペテロは、自分が経験したことから、イエス様はまことの神様であることを知りました。
だからこそ、イエス様の約束を確信し、命がけで福音を宣べ伝えました。そして、自分がこの世を去ることになっても、ペテロがしてきたように、信徒たちがキリストの再臨のときまで、イエス様に目を向けて、イエス様に従い、イエス様を証しする者になって欲しいと願って、みことばを伝え続けました。
イエス様こそまことの神様であり、救い主であることを知ったペテロは、イエス様から与えられた権威を無駄にすることなく、自分のこの世での時間を精一杯用いて、次の世代の弟子たちを励まし続けました。私たちも、現代においてイエス様こそ主であることを知らせていただいた貴重な存在です。私たちは、ペテロと同じように、福音を次の世代に伝えるために、神様に選んでいただいた者です。ペテロは、どんなときもイエス様から離れず、教えを熱心に聞き、失敗をすることはあっても、全力でイエス様に従い続けました。私たちも、ペテロのように、私たちのために命を捨ててくださったイエス様のみことばを聞き、従ってまいりましょう。私たちがいつもイエス様の約束を思い起こすことができるように、使徒たちを通して聖霊様が書き残してくださった聖書を通して、私たちも信仰を奮い起こして、この世の生涯を送らせていただきたいと願います。