2025年2月9日「ラザロよ、出て来なさい!」木下淳夫 師

タイトルラザロよ、出て来なさい!
聖書ヨハネ11:38~46
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「ラザロよ、出て来なさい」です。

 イエス様は、人を悲しみに縛り付ける死に対して憤りを覚えられました。そして、死の束縛からラザロを解放されました。それは、イエス様を信じるすべての人が、イエス様の十字架の死と復活によって、罪と死の束縛から解放されるためです。今日は、ラザロの復活が、マルタとマリヤの悲しみを喜びに変えただけではなく、私たちにも希望を与え、また、イエス様から私たちにも使命が与えられていることを覚えたいと願っています。

ヨハネの福音書11章38~40節

38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。

39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」

40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、目に見えない霊的なことについて、人々に大きな悲しみをもたらす死に対して憤り、また、目の前で泣いているマリヤや人々の悲しみをご覧になり、ご自身も落胆し、マリヤの悲しみを背負って涙を流されました。このような状況でも、ユダヤ人たちのある人たちは、マルタとマリヤに対してうわべだけの同情を示し、心の中でイエス様に対して敵意を持っていました。イエス様は、彼らの不誠実、また不信仰に対して憤りを覚えられました。

 イエス様が墓につくと、墓の入り口は石でふさがれていました。イエス様は、一緒に来ていた人たちに、その石を取り除けるようにお命じになりました。しかし、マルタは墓を開けてもラザロの遺体は臭くなっているので、生き返ること不可能だと思っていました。イエス様は、そのようなマルタに、イエス様を信じて従うなら、神様の栄光を見ることを思い出させました。

ヨハネの福音書11章41~67節

41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。

42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」

43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」

44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

45 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。

46 しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。

(新改訳第三版)

 イエス様のことばを聞いてマルタは信仰を取り戻しました。そして、墓の石が取り除けられ、イエス様は目を上げて、父なる神様に感謝の祈りをされました。イエス様がお祈りされたのは、その場所にいる群衆のためです。この人たちが、イエス様は父なる神様から遣わされたキリストであることを信じるようになるためです。なぜなら、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様が行ってきた奇跡を悪霊の頭ベルゼブルの力によって行っていると言って、イエス様を非難するようになっていました。ですから、イエス様が行うすべてのわざは、父なる神様の御力によってなされていることを示すために、イエス様はこのような祈りをささげられました。

 そして、イエス様は大きな声で「ラザロよ。出て来なさい。」と、死んでいたラザロにお命じになられました。イエス様が、弟子たちにラザロを起こしに行くと言った通り、イエス様は、眠っていたラザロに声をかけられました。すると、死んでいたラザロは手と足を布で巻かれたまま出て来ました。イエス様は周りにいた人たちに、ラザロに巻かれている布をほどいて自由にするようにお命じになられました。

この奇跡を通して、多くのユダヤ人がイエス様を神様から遣わされたキリストと信じました。しかし、何人かのユダヤ人は、かたくなにイエス様を拒否しました。そして、多くの人がイエス様をキリストと信じるようになったので、すぐにイエス様を捕らえなければならないと考え、イエス様を殺そうと考えていたパリサイ人たちに事態が大きく変わったことを伝えに行きました。

ヨハネの福音書11章44節

イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、ラザロをよみがえらせてくださいました。それは、マルタとマリヤ、また、いっしょに嘆き悲しんでいた人たちを慰め、悲しみを喜びに変えるだけでなく、弟子たちや、そこにいたすべての人たちが、イエス様は父なる神様から遣わされた生ける神の子キリストであることを信じて永遠のいのちを持つようになるためです。

そして、イエス様は恵みにより信仰によって希望を与えられた人たちに、ラザロに巻かれていた布をほどき、ラザロを自由にするようにお命じになられました。ユダヤでは縛るというのは物理的な意味だけでなく、法的な意味、霊的な意味としても用いられます。法的には禁止を意味し、霊的には束縛を意味しています。ですから、イエス様が命じられたことは、ただラザロから布を取り除くというだけでなく、死に束縛されていた人を自由にするということを意味しています。

これは、特にイエス様の弟子たちにとって重要な命令です。この世には死にとらわれた多くの人たちがいます。この人たちを死の束縛から解放することが、私たちにも与えられた使命です。私たちに与えられたキリストの霊である聖霊様が、私たちを通して、死んでいる人たちにいのちのみことばを語ってくださいます。私たちは、そのみことばを伝える管としての働きを与えられています。イエス様が人となって、人間にわかる言葉で福音を伝えてくださったように、私たちも、隣人にわかる言葉で福音を伝えるようにと、イエス様は私たちをご自身の権威と御霊を与えて遣わしてくださっています。私たちも信仰をもって出て行き、罪と死にとらわれている人たち、霊において死んでいる人たちを目覚めさせる福音を伝えてまいりましょう。