2025年1月26日「よみがえりであるイエス様」木下淳夫 師

タイトルよみがえりであるイエス様
聖書ヨハネ11:17~29
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「よみがえりであるイエス様」です。

 イエス様は、ラザロの復活を通して、弟子たちに復活はあるのだということを確信させようとされました。そして、イエス様がまことの神様であり、死人を生き返らせることができるお方であることを信じることを願っておられました。

今日は、イエス様はすべての者を生かし、死んだものをもよみがえらせることがおできになる神様であることを、学ばせていただき、どんな時もイエス様により頼む信仰を持ちたいと願っています。

ヨハネの福音書11章17~20節

17 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。

18 ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。

19 大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて慰めるためであった。

20 マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。マリヤは家ですわっていた。

(新改訳第三版)

 イエス様がラザロのもとに来た時の状況が説明されています。ラザロはすでに死んでいて、しかも墓に入れられてから四日も経っていました。そして、ベタニヤはエルサレムから近いので、大勢のユダヤ人たちが来ていました。このユダヤ人たちはラザロの死によって悲しんでいるマルタとマリヤを慰めるために集まっていました。このようにたくさんの人が集まって嘆き、遺族を慰めるということは、ユダヤ人の風習でもあります。しかし、エルサレムからユダヤ人たちが大勢集まっているということは、イエス様の弟子たちが最も恐れていたことでした。そのようなベタニヤにイエス様がやってこられました。マルタはイエス様が来られたという知らせを聞いてイエス様を迎えに、村の外まで行きました。しかし、マリヤは家に座っていました。彼女の悲しみが、かなり深かったことが想像できます。

ヨハネの福音書11章21~29節

21 マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。

22 今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」

23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」

24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」

25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

28 こう言ってから、帰って行って、姉妹マリヤを呼び、「先生が見えています。あなたを呼んでおられます」とそっと言った。

29 マリヤはそれを聞くと、すぐ立ち上がって、イエスのところに行った。

(新改訳第三版)

 マルタは、ラザロが生きている間に、イエス様が来てくださっていたら、ラザロは死ぬことはなかったと、とても残念な気持ちを正直にイエス様に伝えています。しかし、彼女はイエス様が薄情な人だとは思っていません。それでも、イエス様が神様にお求めになることは何でも、神様は与えてくださると信じていました。つまり、イエス様が神様から遣わされたキリストであるという信仰は変わっていませんでした。

 イエス様は、ラザロを失って悲しんでいるマルタに、ラザロは墓からよみがえることを告げられました。しかし、マルタは、ラザロがすぐによみがえるとは考えられず、終わりの日に復活があるということ、その復活に与ってラザロもよみがえると信じているとイエス様に答えました。

 そこで、イエス様は「わたしは、よみがえりである」とおっしゃいました。イエス様こそ、終わりの日の復活を行うお方であり、いのちの源であるとおっしゃいました。そして、イエス様はご自身を信じる者は、死んでも生きる、また、生きていてイエス様を信じた者は、決して死ぬことがないと宣言されました。

 マルタは、このイエス様のみことばによって信仰を強められました。そして、マルタは、イエス様が神の子キリストであると信仰を告白しました。悲しみの中にあったマルタですが、イエス様の約束のみことばによって力づけられ、同じように悲しみに沈んでいるマリヤを、イエス様のもとに連れてくるために帰っていきました。

ヨハネの福音書11章25節

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

(新改訳第三版)

 マルタは、イエス様を神様から遣わされたキリストと信じていました。しかし、兄弟の死を通して、彼女はさらにイエス様が終わりの日にすべてのものをよみがえらせるお方、いのちそのものであるお方であることを信じました。そして、マルタは、イエス様が世に来られる神の子キリストであると告白しました。

 彼女はまだ、ラザロが本当に生き返るということを信じたわけではありませんでした。死んでから四日も経ち、遺体も傷んでいるのですから、当然その体がよみがえるとは考えられなかったからです。しかし、彼女はラザロの復活を見ないで、イエス様が神の子キリストであることを信じました。

自分の祈りが聞かれたから、神様を信じるという人が多いのですが、イエス様が求めておられるのは、まずイエス様を信じることだということを覚えましょう。そして、私たちも、イエス様がよみがえりであり、いのちであるということを、信じてイエス様こそ神の御子キリストであると告白しましょう。私たちはこの世の常識や、過去の経験にとらわれやすいところがあります。そのため、失敗することが怖くて、新しいことに踏み出せないことがあるかもしれません。今までの自分のやり方だけで、何とかこの先も乗り越えたいと思うかもしれません。しかし、イエス様は、私たちが常識にとらわれて、苦しみ、動けなくなるのではなく、全能であるイエス様を信じてより頼むことを求めておられます。イエス様は、マルタに、信仰のチャレンジを与えられました。そして、マルタは信仰をもって応答しました。ですから、私たちも信仰をもって応答しましょう。イエス様は、私たちが必ず通らなければならないという死という最大の問題についても、ご自身の十字架の死と復活を通して勝利の道を開いてくださったことを信じましょう。イエス様を信じてより頼むなら、どんな悲しみに沈んでいても、イエス様は希望を与え立ち上がる力を与えてくださいます。