2022年8月21日「新たな力」木下淳夫 師

タイトル新たな力
聖書イザヤ40:27~31
説教者木下淳夫師

 今日は、「新たな力」というテーマです。

 このイザヤ書の預言は、イスラエルが神様から罰を受け、バビロンに捕囚となる前に、主がイザヤに与えてくださった救いの約束のみことばです。やがて罪を犯したイスラエルは、きびしい罰を受けるけれども、主はその罪を赦してくださり回復させてくださるという約束をあらかじめ与えてくださっています。この約束のみことばを、私たちも受け取り、困難からの回復、そして、新しい一歩を踏み出す希望と力を、神様からいただきたいと願っています。

イザヤ書 40章27〜28節

27 ヤコブよ。なぜ言うのか。

イスラエルよ。なぜ言い張るのか。

「私の道は主に隠れ、

私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている」と。

28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。

主は永遠の神、地の果てまで創造された方。

疲れることなく、たゆむことなく、

その英知は測り知れない。

(新改訳第三版)

 イスラエルの民は、この世界を創造したまことの神様である主に選ばれ、神の民とされた民族です。また、主ご自身が彼らの神となると約束してくださった特別な関係を持っていました。ところが、イスラエルの民は、神様の定めに従わず、自分の欲望のままに行動し、神様の御心を痛めました。その結果、なんども神様から罰を受けることになりました。それは、出エジプトの時代から、現代に至るまで続いています。イスラエルの民は、神様の戒めを守らず、神様から罰を受けて困難を経験すると、自分たちの罪を悔い改め、神様に救いを求めました。その度に、主なる神様は彼らの切実な願いを聞いてくださり、罪を赦して国を再興させてくださいました。イスラエルの民は、バビロンに捕らわれていた時も、ローマに支配されていた時も、また、エルサレム崩壊後、離散の民となった時も、その困難の中で自らの罪を悔い改め、主に救いを求めました。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている」と、自分たちの祈りが聞かれないことを嘆きながらも、主に祈り続けました。

 そのようなイスラエルに、主はご自身がこの世界を地の果てまで創造した神様であり、決して疲れて休むようなものではなく、怠けるようなこともない、ちゃんと彼らの祈りを聞いておられるとおっしゃいます。そして、人々の考えをはるかに超えた英知によって、救いの手を差し伸べると約束してくださっています。

 私たちも、祈りがなかなか聞かれないということがあると思います。しかし、測り知れない英知をもっておられるお方は、いつも私たちの祈りを聞いてくださっています。そして、疲れることなく、たゆむことなく、天地を創造した御力によって驚くべき御業をなしてくださいます。

イザヤ書 40章29〜31節

29 疲れた者には力を与え、

精力のない者には活気をつける。

30 若者も疲れ、たゆみ、

若い男もつまずき倒れる。

31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、

鷲のように翼をかって上ることができる。

走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

(新改訳第三版)

 主は私たちの祈りを聞いてくださり、必ず救ってくださると知っていても、この世の戦いの中で、だれでも疲れを覚えます。信仰があっても、精神的に弱ることがあります。それは、イスラエルの民も、私たちも変わることがありません。しかし、主は救いの御業がなされるまでの間、疲れてしまう人たち、精力を失ってしまう人たちに、新しい力を与えてくださるという約束をしてくださっています。

31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 この新しい力を得る人は、主を待ち望む人です。主なる神様を信じない人、主に従わない人、主に頼ることなく、自分の力だけでなんとかしようとする人は対象外です。しかし、苦難の中でも主を信頼し、主の救いを待ち望み続けるなら、その人は主の救いがなされるまでの間も、神様から新しい力をいただくことができます。それは、鷲が大空に舞い上がるように、私たちも天に引き上げられるような恵みを受けます。そして、主が疲れることのないお方であるように、私たちも走ってもたゆむことなく、歩いても疲れない者にしていただくことができます。

 人間はだれでも、肉体的な疲れを覚えることがあります。祈りが聞かれず、信仰も弱ってしまうことがあります。しかし、私たちを愛し、私たちをイエス・キリストの恵みによって救ってくださった父なる神様は、私たちの祈りをいつも聞いてくださっています。そして、私たちの思いを超えた答えを、私たちが願っていた以上のタイミングで与えてくださいます。

イエス様が地上を歩まれたとき、イエス様は人間として疲れを覚えられました。また、私たちの罪を背負ってくださったことにより、祈りが聞かれない不安、神様に見捨てられたと感じる恐ろしさを、十字架の上で味わってくださいました。しかし、イエス様は、その苦しみの中でも、最後の最後まで主を待ち望む姿を、示してくださいました。そして、十字架の上で勝利を取られました。このイエス様は、いつも私たちの弱さに同情してくださるお方です。一人で苦しい道を歩かせるようなお方ではありません。一緒にくびきを負い、また、時には歩けないほど疲れた私たちを背負って歩いてくださるお方です。私たちも、どんなときでも主イエス様に信頼し、待ち望むなら、主は困難を耐え抜く新しい力を与えてくださいます。そして、鷲のように天に昇るような信仰を与えてくださり、驚くような勝利を与えてくださいます。