タイトル | 平和を保つために |
聖書 | 1テサロニケ5:12〜15 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「平和を保つために」です。
私が教会に行く前、教会に持っていたイメージは、ステンドガラスからきれいな光が差し込む神聖な礼拝堂で、聖人君主が静かに讃美歌を歌い、祈りを捧げている場所でした。それが、友人に誘われて行った教会の集会では、バンドによる伴奏で賑やかにワーシップソングを歌い、一斉に大きな声を上げてお祈りする集会でした。そして、教会に行くようになってわかったことは、すべての信徒が聖人君主というわけではなく、それぞれに弱さを持っていたり、悩みを抱えていたり、教会自体もさまざまな問題があるということでした。それでも、教会は大きな争いがありません。そのように教会が平和を保つことができるのは、教会が聖書の教えを守っているからです。私たちも、聖書のみことばから学ばせていただいて、どんなときでも教会に平和を保ち、まだイエス様を知らない人にも良い証をしていきたいと願っています。
テサロニケ人への手紙第一5章12〜13節
12 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。
13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。
(新改訳第三版)
パウロたちがテサロニケを離れたため、教会は絶対的な指導者を失ってしまいました。しかし、パウロは短い期間ではありましたが、テサロニケ教会で、リーダーとして奉仕する人たちを育てていました。パウロに比べれば、指導者として足りないところがあることは仕方がないことです。それでも、残されたリーダーたちは、パウロから学んだことを忠実に行い、信徒たちを指導し、訓戒して、互いに愛し合って信仰を守り続けていました。パウロは、そのような指導者のことを認めるようにお願いしています。認めるというのは、彼らが行なっている奉仕を知り、その尊さを理解することです。そして、愛を持って深い尊敬を払うことを、パウロは願っています。
指導者といっても一人の弱さを持った人間です。完璧に主のみこころを行うことができるわけではありません。イエス様のように、信徒の気持ちを100パーセント理解し、同情し、どんなときでも最善の助けをすることができるわけではありません。ときには、誤解を与えるようなことがあるかもしれません。だからこそ、パウロは指導者たちが、どのような労苦をしてくれているのかをよく知って、愛を持って尊敬を払うことを教えています。
困難に直面した教会が注意しなければならないことは、教会内に平和を保つことです。そのために、もっとも争いになりやすい指導者と信徒の関係が保たれるように、互いに理解し合い、愛を持って互いを尊い存在と認めることが大切です。
テサロニケ人への手紙第一5章14〜15節
14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。
(新改訳第三版)
教会にはさまざまな人が集います。全ての人が信仰に堅く立って、勇気を持って困難に立ち向かい、主イエス・キリストの証人として奉仕できるわけではありません。中には信仰があるのかないのかわからないような気ままな人もいるでしょう。弱さを持った人もいるでしょう。パウロは、そのような人たちのことも知った上で、すべての人に対して寛容であるように勧めています。ただ、悪に対して悪で報いることをしないで、いつも善を行うことを命じています。
テサロニケ人への手紙第一5章13節
お互いの間に平和を保ちなさい。
(新改訳第三版)
今日、私たちも兄弟姉妹が互いに平和を保つことの大切さを覚えましょう。特に教会の中でも、指導的な立場にある牧師や役員などは、どのような奉仕をしているの信徒には見えづらい面があります。ですから、牧師を始め教会全体の活動が、自分の好みや希望とは違った場合、不満を持ってしまうかもしれません。おそらく、2000年前の教会でもそのような問題があったのでしょう。ですから、現代の私たちの教会で、同じような問題があっても不思議ではありません。だからこそ、今日、みことばを通して教えられたように、指導、訓戒している人を、その務めのゆえに愛をもって深い尊敬を払うようにしましょう。また、指導する立場の人は、イエス様が弟子たちの足を洗ってくださったように、兄弟姉妹それぞれの必要を覚えて、愛を持って敬意を払い、どんなときでも善を行って指導し訓戒すべきです。
そのために、いつも自分の前に主イエス様がおられることを覚え、イエス様を通して兄弟姉妹を見るようにしましょう。イエス様が兄弟姉妹をどのように見ておられるのかを思い起こして、イエス様と同じ心で兄弟姉妹に接してまいりましょう。このように互いが愛し合い、信頼することができるなら、お互いの間に平和を保つことができるようになります。