
タイトル | 弟子たちの変化 |
聖書 | ヨハネ10:40~42 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「弟子たちの変化」です。
今日は、バプテスマのヨハネの弟子たちが、イエス様を信じるようになっていった様子をご一緒に学び、私たちもイエス様に従う信仰を固く保っていきたいと願っています。
ヨハネの福音書10章40~42節
40 そして、イエスはまたヨルダンを渡って、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行かれ、そこに滞在された。
41 多くの人々がイエスのところに来た。彼らは、「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった」と言った。
42 そして、その地方で多くの人々がイエスを信じた。
(新改訳第三版)
しばらくの間、イエス様とバプテスマのヨハネの活動が、重なる時期がありました。ヨハネの福音書3章に、イエス様とバプテスマのヨハネの活動が、近くで行われていた時期のことが記されています。その時、ヨハネにもたくさんの弟子がいて、また、多くの人がヨハネのもとにも集まっていました。
ヨハネは人々に自分の罪を悔い改めて主に立ち返るように命じました。なぜなら、間もなくイスラエルの救い主、王の王であるキリストが来られるからです。ヨハネはイスラエルの民が、キリストを迎えることができるように、その道を備える働きをしていました。また、キリストがやって来た時、そのキリストを人々に指し示すという大切な働きを担っていました。
そして、ヨハネは自分のもとにイエス様がやって来たとき、イエス様の上に聖霊がとどまり、天から神様が「これはわたしの愛する子」と語られた声を聞きました。それによって、イエス様こそ約束のキリストであると確信し、人々にイエス様に聞き従うようにと語るようになりました。そして、この福音書の著者であり、使徒となったヨハネは、先生であるヨハネに勧められて、イエス様の弟子になりました。そのように、人々はイエス様の方に集まるようになっていきました。もちろん、ヨハネは「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と言って、イエス様のもとに人々が集まることをとても喜んでいました。
それでも、多くの人はヨハネのもとにとどまりました。それほど、ヨハネには人を惹きつける力があったということでしょう。ただ、残っていた弟子たちは、自分の先生よりも、イエス様の方に多くの人が集まることをよく思っていませんでした。さらに悪いことに、ヨハネはヘロデに捕らえられ、処刑されてしまいます。ですから、ヨハネの弟子たちは、大きな失望の中にあったことでしょう。そのようなヨハネの弟子たちを気遣って、イエス様はヨルダンを渡り、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所に行きました。そこには、ヨハネの弟子たちがいたと考えられたからでしょう。
そこで、人々はイエス様との交わりを通して、もう一度自分たちの先生の教えを思い出すことができました。それは、ヨハネの後から来る方は、自分にまさる方であること、この方は神の御子であるという証言でした。ヨハネは常に自分はキリストではないと言っていました。それでも、弟子たちは、自分の先生は謙遜しているだけで、本当はこの方こそキリストだと思っていたかもしれません。しかし、ヨハネの死後、イエス様との交わりを通して、ヨハネの証言がすべて真実であったことを確信して、イエス様を信じるようになりました。
ヨハネの福音書10章41節
彼らは、「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった」と言った。
(新改訳第三版)
ここで、イエス様を信じた人たちは、ヨハネの証言が真実であったと認めてイエス様を信じました。このことから、イエス様を正しく証しすることが、人々を信仰に導くということが教えられます。
特に、ヨハネはイエス様を指して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」と言いました。小羊とは、人間が犯した罪を贖うために、神様に捧げられるいけにえです。人間の命の代償として、その命を神様に捧げるものです。イエス様は、ヨハネが証したように、世の罪を取り除くために、私たちの贖いとなるためにこの世に遣わされたいけにえです。このイエス様を信じ、イエス様に聞き従うなら、すべての罪が赦され、永遠のいのちを持つことが約束されています。
ヨハネは自分の栄光を求めることなく、ただキリスト・イエス様を証し続けました。私たちも、この一年、ヨハネのように荒野で叫ぶ声として、人々に救い主イエス・キリストを証してまいりましょう。証しをするときに、自分に働きかけてくださったイエス・キリストを証することができるように、日々イエス様との交わりを深めましょう。イエス様のみことばによって生かされている信徒は、この世にあってまことの光を輝かせる大切な器です。その光を、それぞれ遣わされたところで輝かせ、神様の栄光を現わしてまいりましょう。