2022年10月23日「わたしは新しい事をする」木下淳夫 師

タイトルわたしは新しい事をする
聖書イザヤ43:16~19
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは、「わたしは新しい事をする」です。

 聖書にある預言は、神様の約束や戒めだけでなく、遠い未来に起こることも記されています。今日ご一緒に学ばせていただく預言は、イザヤの時代に伝えられたのですが、主がみことばを与えようとしている人はイザヤよりも後の時代、バビロンで捕囚となっている人々、そして、それよりもさらに後の私たちです。主は囚われているご自身の民に、救いの約束によって希望を与えてくださっています。私たちも、このみことばを受け取り、主がなしてくださる大いなる御業に期待したいと願っています。

イザヤ書 43章16〜17節

16 海の中に道を、

激しく流れる水の中に通り道を設け、

17 戦車と馬、強力な軍勢を連れ出した主は

こう仰せられる。

「彼らはみな倒れて起き上がれず、

燈心のように消える。

(新改訳第三版)

 イスラエルの民は、エジプトで奴隷として苦しめられていた中で、アブラハム、イサク、ヤコブの神様である主に救いを求めました。主は彼らの祈りを聞いてくださり、モーセを指導者としてお立てくださって、エジプトから解放してくださいました。エジプトの王ファラオは、イスラエルの民を奴隷として苦役につかせていたのですが、主は10の災いをエジプトだけにくだされたので、ファラオは、イスラエルがエジプトを出ていくことを認めました。しかし、一度はイスラエルを逃したファラオですが、すぐに気が変わって戦車と馬、強力な軍勢を使って、イスラエルを追いかけました。イスラエルの民は、紅海を前にして進むことができずにいたのですが、その背後からエジプトの大軍勢が迫って来ました。そのような絶体絶命のときに、主はモーセに杖を海に指し伸ばすように命じられました。すると、紅海はまっぷたつに分かれ、海の底に道が現れました。イスラエルは、その海の中に現れた道を通って対岸へ進みました。エジプトの軍勢も、イスラエルを追って海の中の道を通ったのですが、主はイスラエルの民が、紅海を渡りきると海をもとに戻し、エジプト軍は全滅してしまいました。

 ここに記されていることは、主がイスラエルの民を救い出してくださった出エジプトの出来事を指しています。「海」と「激しく流れる水」、「道」と「通り道」が対になって意味を強調しています。そして、主が救いのみわざをなされるなら、どれほど強大な軍勢であっても倒れて起き上がることができないということを、主はイスラエルの民に思い出させています。

イザヤ書 43章18〜19節

18 先の事どもを思い出すな。

昔の事どもを考えるな。

19 見よ。わたしは新しい事をする。

今、もうそれが起ころうとしている。

あなたがたは、それを知らないのか。

確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

(新改訳第三版)

 主は、イスラエルの民にご自身が力ある救い主であるということを、歴史的な事実から思い起こさせてくださいました。しかし、主は、近い将来イスラエルの民に対して、彼らの罪のためにさばきを与え、バビロンに引き渡すように計画し、同時にその苦しみからの救いを約束されました。イザヤの預言を聞いていた人たちには、考えられないような話だったと思います。しかし、イザヤが語った預言を書き記した巻物は、バビロンで捕囚となっていた人々、また、捕囚から帰還したけれども、依然として困難の中にある人たち、さらにはその後に苦しみの中にある人たちに、すばらしい希望のメッセージとなりました。

 主は自分たちの罪のために囚われてしまった出来事を思い出すのではなく、主が力ある救い主であることを思い出すように命じておられます。そして、主は、新しい救いのみわざを行うと約束してくださいました。主の救いは、いつかなされるというのではなく、人々がみことばを聞いた、今、救いのみわざが始まっています。ですから、エジプトを逃れたイスラエルの民が紅海に現れた道を通って救われたように、荒野に道を、荒地に川を設けて、囚われている民を救うと、主は約束してくださっています。

 イスラエルの民が主に救われたように、私たちも主の恵みにより、イエス様がまことの神様であり、私たちの救い主であることを信じる信仰によって救いに与りました。しかし、私たちの人生は、イエス様を信じたら苦しいことがなくなるというのではありません。この世には、さまざまな罪の誘惑があり、悪が満ちています。そのために、苦しみに会うこと、また、自分の罪のために苦しむこともあります。しかし、そのような中にあっても、私たちは自分の罪を悔い改めて、主に立ち返るなら、主がなしてくださる新しい御業に期待することができます。

イザヤ書 43章19節

見よ。わたしは新しい事をする。

今、もうそれが起ころうとしている。

(新改訳第三版)

 もちろん、この「新しい事」というのは、御子イエス・キリストによる救いです。イエス様の十字架の死と復活によってなされた新しい契約は、イエス様を信じる信仰によって救われるという約束です。その約束は、今、すでに起こっています。そして、すべての人に永遠のいのちへの道が開かれ、いのちの水が川のように流れています。私たちは、苦しいことに囚われてしまいがちですが、先の事どもを思い出すことなく、力ある主がなしてくださった救いの御業を思い起こし、目の前に開かれているいのちの道をまっすぐに歩んでまいりましょう。