タイトル | イエス様に対する理解を深めよう |
聖書 | ヨハネ7:45~44 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「イエス様に対する理解を深めよう」です。
私はインターネットで買い物をすることが多いのですが、そのとき「口コミ」も判断材料にしています。実際にその商品を使った人の言葉は、参考になると考えるからです。この口コミによる判断は、イエス様に対する理解を深めるときにも役に立つと思います。イエス様に会った人、イエス様のみことばを直接聞いた人たちの口コミを聞いて、私たちもイエス様をより深く知りたいと願っています。
ヨハネの福音書7章45~49節
45 それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た。彼らは役人たちに言った。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」
46 役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」
47 すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。
48 議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。
49 だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」
(新改訳第三版)
イエス様を捕らえるために遣わされた役人たちは、命令を守ることなく帰ってきました。彼らは群衆を恐れたということもあるのですが、彼らは役人ですから、強引にイエス様に手をかけても、群衆が逆らうようなことはありません。また、もしもイエス様が本当のキリストであったとしても、彼らは命令を守っただけですから、指導者たちから罰せられることもありません。それでも、彼らは命令に反して、イエス様を捕らえることをしませんでした。
役人たちは、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」と答えています。この答えから彼らは、イエス様を捕らえようとしたけれども、イエス様が語られるみことばを聞いて心が変わったと考えられます。
イエス様のみことばを聞いたとき、すべての人は信仰の決断が迫られます。そのみことばを真実であると認めてイエス様を主と信じるか、みことばを偽りであると判断して、イエス様を罪人と定めるか、どちらかを選ぶように迫られます。この役人たちは、イエス様が語られるみことばを真実であると認めました。
しかし、役人たちを遣わした祭司長、パリサイ人たちは役人たちに、「おまえたちも惑わされているのか。」と叱責しています。このときすでに群衆の中にはイエス様をキリストと信じる人たちも多くいました。そして、この祭りの終わりの日には、そのような人たちが、祭司長たちを恐れることなく、イエス様をキリストであると公に語っていました。このような状況に焦りを感じていた祭司長、パリサイ人たちは、役人たちを遣わしてイエス様を捕らえようとしたのですが、その役人たちがイエス様を信じるようになりました。ですから、彼らは律法をしっかりと学んでいる議員とかパリサイ人たちのうちにイエス様を信じた者はいないとして、役人たちの判断が間違っていると主張しています。それは、キリストはガリラヤから来るのではなく、ユダのベツレヘムに生まれることを知っていたからです。
ヨハネの福音書7章45~52節
50 彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。
51 「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」
52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」
(新改訳第三版)
祭司長、パリサイ人たちは、議員のうちにイエス様をキリストであると信じている人は一人もいないと考えていましたが、議員のメンバーだったニコデモは、イエス様が約束のキリストであると信じていました。しかし、この時点で祭司長たちに逆らって、イエス様がキリストであると告白するなら、議員の地位を失うことになります。それだけではありません。指導者たちに逆らうことになるのですから、ユダヤ人社会からも追放され、家族ともども生活の危機に陥ります。このような困難な状況にあったので、ニコデモは律法に基づいて、祭司長たち自身が、イエス様が語られるみことばを直接、自分の耳で聞いて判断するように勧めました。もちろん、ニコデモは直接イエス様と対話していましたので、イエス様をキリストであると認めていました。
ところが、祭司長たちは、イエス様がガリラヤ出身だとして、イエス様がキリストであるはずがないと主張し、ニコデモの勧めに耳を傾けることはありませんでした。
この役人たち、祭司長、パリサイ人たち、そして、ニコデモの会話を通して注目していただきたいことは、イエス様に対する態度の違いです。イエス様のみことばを直接聞いた人と、みことばを聞かずに自分の常識で判断している人では、その態度が全く違います。イエス様のみことばを聞いたなら、そこには批判するような内容はありません。ですから、イエス様がご自身を神としても、それが神様を冒涜することばとは思えません。イエス様を直接知った人たちからの「口コミ情報」は、イエス様がキリストであるということでした。
幸いなことに、私たちは、口コミだけでイエス様を判断するのではなく、自分で直接イエス様のみことばを聞くことができます。イエス様がご自身について証言しているみことばに耳を傾け、それが真実であるか判断し、信仰の決断をしましょう。今日は、そのみことばの一つに注目します。
ヨハネの福音書8章12節
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
(新改訳第三版)
イエス様が語られたこのみことばを真実であるか偽りであるかを判断し、私たちはイエス様に従うか、従わないか決めなければなりません。もしも、イエス様に従うと決心するなら、皆さんはやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。今日、一人ひとりがみことばに対して、真剣に耳を傾け、信仰の決断をしてまいりましょう。良い決断をして、みなさんがいのちの光をもつことを願っています。