2024年4月21日「イエス様についてのうわさ」木下淳夫 師

タイトルイエス様についてのうわさ
聖書ヨハネ7:10~13
説教者木下淳夫師

イエス様についてのうわさ

ヨハネの福音書7章10~13節

 今日は、「イエス様についてのうわさ」というテーマです。

 現代でも、有名人は人々の話題に上ります。そして、さまざまなうわさが流れます。そこには真実もあれば、根拠のない嘘もあります。イエス様がこの地上を歩まれた当時、多くの人はイエス様のことを約束のキリストだと信じました。そのような人々の動きは、ローマの人々に取り上げられるほど、大きな話題になっていました。それほど、有名なイエス様について、人々がどのように考えていたのか、彼らのうわさばなしに、私たちも耳を傾けてみましょう。そして、私たちは真実の証言をしっかりと聞いて、イエス様を正しく知り、イエス様を愛し従っていきたいと願っています。

ヨハネの福音書7章10~11節

10 しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。

11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。

(新改訳第三版)

 イエス様は、兄弟たちに仮庵の祭りに行って自分がキリストであることを示すように勧められましたが、その勧めを断り自分は祭りにはいかないとおっしゃいました。そして、ガリラヤにとどまっておられたのですが、後から誰にも知られないように、エルサレムに上って行かれました。

 兄弟たちはイエス様をユダヤ人の王にしようと思い、仮庵の祭りに行ってしるしをしめすことを勧めたのですが、イエス様が王になる時はまだ来ていませんでした。また、ユダヤ人たちがイエス様を殺そうとしていたことをご存じだったイエス様は、まだエルサレムで十字架にかかられる時ではないので、彼らが望んでいた理由でエルサレムに行くことはしませんでした。しかし、イエス様は、ご自身が王になるためではなく、イスラエルの民に永遠のいのちへの水を与えるための宣教を行うため、仮庵の祭りに上って行かれました。

 仮庵の祭りは、主が祝うようにお命じになった重要なまつりです。ですから、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様が仮庵の祭りに来ていると考えていました。彼らはイエス様を殺そうと考えていましたから、祭りの中でずっとイエス様を捜していました。

ヨハネの福音書7章12~13節

12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「違う。群衆を惑わしているのだ」と言う者もいた。

13 しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はひとりもいなかった。

(新改訳第三版)

 仮庵の祭りにおいて、群衆の間でも、イエス様について、いろいろな話がされていました。ある人たちは、イエス様のことを「良い人だ」と言っていました。この「良い人」は、人間に対して使うような言い方ではありません。ルカの福音書とマルコの福音書には、ある人がイエス様に「尊い先生。」と呼びかけたことが記されています。この「尊い」はここでの「良い」と同じ言葉です。イエス様はその呼びかけに「尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。」と答えておられる通り、群衆の中にはイエス様のことを神様と同様に偉大なお方、神様がお遣わしになったキリストであると考えている人もいました。逆にイエス様のことを、群衆を惑わしている者だという人もいました。

 どちらにしても、人々はイエス様がなさった数々のしるしを見て、イエス様が普通の人間ではないことを認めていました。普通の人間ではないのなら、イエス様が神様から遣わされたお方なのか、悪魔の使いなのかという二者択一になります。ユダヤ人の指導者は自分の地位を守るため、イエス様を神様から遣わされたキリストであると認めることができず、悪魔の使いであると断定し、彼らに従っていた人々にも、イエス様を拒否するように扇動しました。それでも、キリストを待ち望んでいる人々は、イエス様が約束のキリストであると信じて、イスラエルをローマから解放してくれることを期待していました。ただ、ユダヤ人の指導者がイエス様を憎み、殺そうとしていたことはエルサレム中に知れ渡っていましたので、だれも公然とイエス様について語ることはしませんでした。

 このように、この時の仮庵の祭りでは、イエス様が人々の話題の中心であり、イエス様に対する期待と、憎悪が入り乱れていたことがわかります。この時エルサレムでは、表向きは神様の救いを喜び、キリストの来臨を期待する仮庵の祭りを祝っているのですが、その内面ではイエス様をキリストと信じる信仰による期待だけでなく、イエス様に対する殺意、また、その殺意に支配されている人々がイエス様をどのように見ていたのかが、この福音書に記されています。

そのような、イエス様について語られるさまざまなうわさを、イエス様の弟子たちも耳にしていました。そして、イエス様は弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と質問された時、シモン・ペテロが答えたみことばをしっかりと覚えましょう。

マタイの福音書16章16節

「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、生ける神の御子キリストであるお方です。神の御子というのは、神様が生んだ子どもという意味ではありません。イエス様が神様と同じ性質を持っておられるということ、つまりイエス様が神様であるということを表す言葉です。また、イエス様がキリストであるという告白もとても重要です。イエス様はまことの神様ですが、神様からこの世に遣わされたお方、神様であるにもかかわらず人間の姿をとって人々を救うために来てくださったお方であることを意味しています。また、永遠にダビデの王座に着いてこの地を治める王の王であることを意味しています。

 皆さんは、イエス様のことをどのように考えているでしょうか?教会に来ていても、漠然と神様を信じていることはないでしょうか?イエス様が、十字架の血潮によって私たちのすべての罪を洗いきよめてくださったことを信じる信仰によって永遠のいのちをいただいたこと覚えましょう。そして、私たちを永遠の契約によって神様の子どもにしてくださったイエス様を、生ける神の御子キリストであると信じましょう。そして、イエス様がなしてくださった愛のわざを、聖書を通して学び、イエス様との交わりを深めましょう。当時エルサレムの群衆はユダヤ人を恐れて表立ってイエス様に従いませんでした。私たちは、私たちを命を懸けて愛してくださったイエス様を覚える時、人の目を気にして隠れて信仰するような信徒ではなく、大胆にキリスト証しする、世の光、地の塩として働くキリストの弟子としていただくことができます。