2021年9月26日「すべての人の喜び」木下淳夫 師

タイトルすべての人の喜び
聖書コリント人への手紙手紙第二 2:1~4
説教者木下淳夫師

 今日は「すべての人の喜び」というテーマです。

 信徒が顔を合わせて主にある交わりができることはすばらしい恵みです。しかし、教会に問題があると、その交わりの中に平和はありません。また、その教会に問題があることを知っていながら、そこを訪問するとなると気持ちがいいものではありません。パウロがコリント訪問を延期したのは、コリント教会に大きな問題があったからです。パウロは、コリントへ行くと、その罪を叱責しなければならなりませんでした。パウロは、彼らと一緒に主にある喜びを分かち合いたかったのに、悲しませる訪問になることがわかっていたので、パウロは手紙を書いて彼らが罪を悔い改めることを勧めました。

 このように、罪は自分だけの問題ではなく、他の人にも悲しみを与えることを覚えながら、すべての人を喜ばせる悔い改めの大切さを学ばせていただきたいと願っています。

コリント人への手紙第二 2章1〜2節

1 そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです。

2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。

(新改訳第三版)

パウロは、コリントの兄弟姉妹が喜びに満たされるための協力者です。ですから、パウロがコリントを訪問することによって、彼らを悲しませたくはありませんでした。残念ながら、以前パウロが訪問したとき、コリント教会には罪を犯していた人がいたために、彼らを叱責しなければなりませんでした。そのために、パウロの訪問は、喜びよりも悲しみを与える結果になりました。ですから、パウロが次に訪問するときには、まだ解決されていない問題を、彼ら自身で解決した状態で迎えて欲しいと、パウロは願っています。

 パウロはこの手紙では、問題を起こしている人を名指しで叱責することはしていません。しかし、この手紙を読んでいる人の中には、パウロに叱責されて悲しんでいる人がいました。その人には、すぐにこの手紙が自分のことを言っているとわかったことでしょう。そして、自分以外にパウロを喜ばせる人はいないこと、自分が悔い改めて、イエス様の弟子として、主を愛し、兄弟姉妹を愛して仕えるようになること以外に、パウロを喜ばせることはできないことに気付かされたことでしょう。

コリント人への手紙第二 2章3〜4節

3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。

4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。

(新改訳第三版)

 パウロは、この第二手紙を書く前に、もう一通の手紙をコリント教会宛に書いていました。内容はパウロのの大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに書かれた手紙ですから、かなり厳しい叱責であり、受け取ったコリントの人たちにとっても大きな悲しみだったと想像できます。ただ、そのような厳しい手紙を書いたのは、パウロが彼らを愛していたからです。

 そして、パウロは、今度顔を合わせるときには、お互いに主にある喜びを分かち合いたいと心から願っていました。パウロも、罪を犯した兄弟が悔い改めて立ち直った姿を見ることは大きな喜びです。そして、パウロの喜びは、コリント教会全体にとっても大きな恵みとなり、喜びとなることをパウロは確信していました。

 コリント教会で罪を犯していた信徒は、パウロを悲しませましたが、パウロの悲しみは、パウロと共におられる聖霊様の悲しみ、また、主イエス様の悲しみでもあります。私たちが罪を犯すなら、聖霊様が悲しまれます。しかし、罪を認め悔い改めるなら、罪を犯した人に赦しが与えられるだけでなく、主にある兄弟姉妹にも喜びがあります。天のお父様は、愛する子どもが罪を離れて御許に立ち返ることを、とても喜ばれます。

 私たちも、聖霊様を悲しませているようなことはないでしょうか。幸いを与えようと計画し、恵みをくださっている神様を認めず、また、神様により頼むことをしないで、肉の知恵や力だけに頼っていることはないでしょうか。そのような神様を離れて自分勝手に生きる罪は、自分の心を苦しめ、他の人にも悲しみを与えてしまいます。そして、なによりも神様を悲しませます。

ヨハネの手紙第一 1章9節

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

(新改訳第三版)

 もしも罪を犯していることに気付いたなら、神様の御前に罪を言い表しましょう。神様はイエス様が流してくださった十字架の血潮のゆえに、罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。罪を赦されることは、教会全体の喜びであり、天においても大きな喜びです。一人ひとりが神様との平和を持つことは、すべての人の喜びになります。ですから、まず私たちが神様の御前にへりくだり、罪を離れましょう。そうするときに、神様の平安と喜びは、すべての人に与えられるようになります。

コリント人への手紙第二 2章3節

それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。

(新改訳第三版)