2024年6月16日「愛の判決」木下淳夫 師

タイトル愛の判決
聖書ヨハネ7:53~8:11
説教者木下淳夫師

今日のテーマは「愛の判決」です。

 イエス様は最後の審判のときにすべての人をかれるお方です。イエス様は正しいお方であり、私たちのことをすべてご存じです。一人ひとりの心の内もご存じであり、それが神様の御心にかなっているかどうかを知っておられます。だからこそ、イエス様がさばきを下される時、そこには間違いはありません。

 今日は、イエス様がこの地上でさばきを求められたとき、どのように判決を下されたのかを学び、私たちもイエス様に赦していただいていることを覚えて、隣人を愛していきたいと願っています。

ヨハネの福音書7章53~8章6節

53 〔そして人々はそれぞれ家に帰った。

1 イエスはオリーブ山に行かれた。

2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。

3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、

4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

(新改訳第三版)

 仮庵の祭りが終わって人々はそれぞれ家に帰り、イエス様はオリーブ山に行かれました。そして、朝早くイエス様はもう一度神殿に入られました。すると、民衆がみもとに集まって来たので、イエス様は座って教え始められました。集まって来た民衆は、ただキリストとうわさされているイエス様を見たいから集まったのではなく、すでにイエス様をキリストと信じていて、イエス様から神の国の教えを聞きたいと願って集まっていました。それはイエス様が当時のラビたちが教えたように、座って彼らを教え始められたことから想像できます。

 このような状況を、ユダヤ人の指導者たちはとても不快に思っていました。そこで、律法学者とパリサイ人は、イエス様が民衆からの支持を失うように罠を仕掛けました。彼らは姦淫の場で捕らえた一人の女性を連れて来て、イエス様が民衆に教えている集まりの真ん中に置き、「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と質問しました。この態度が常識ではかんがえられないことはすぐにわかります。また、姦淫の場で捕らえたなら、相手の男性も一緒に連れて来られるはずなのに、女性だけだということも律法学者とパリサイ人が企んだことだということを暗示しています。

この罠は、イエス様が石打ちにするように命じたなら、彼らはイエス様をローマの法律を犯して死刑を命じたとして捕らえることができます。また、赦すように命じるとモーセの律法に違反したとして捕らえることができます。どちらにしても、彼らはイエス様を捕らえることができる質問でした。それに対してイエス様は黙って指で地面に何かを書いておられました。

ヨハネの福音書8章7~11節

7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕

(新改訳第三版)

 律法学者とパリサイ人は、イエス様を捕らえることができると確信して、早く答えるようにイエス様に問い続けました。そこで、イエス様は身を起こして、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」とおっしゃいました。イエス様は彼女が犯した罪を赦すようにはおっしゃいませんでした。罪を犯したならその報いを受けなければなりません。しかし、この女性が罠にかけられたことをイエス様はご存じだったので、逆に律法学者、パリサイ人、また、そこにいたすべての民衆に自分自身の罪深さを思い起こさせるため、イエス様はこのようにおっしゃいました。すると、リーダー格である年長者たちから自分には彼女をさばくような正義はないこと、自分も罪深い者であることを悟って一人ひとり、その場を出て行き誰もいなくなりました。

 この女性が罪を犯したならどのようなさばきがあるのかを知り心から悔い改めました。イエス様は、彼女が悔い改めたことを認めて「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と、彼女を赦してくださいました。

ヨハネの福音書8章11節

11節「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

(新改訳第三版)

 この女性は、罪を犯したならどのようなさばきがあるのか知らなかったのでしょう。現代でも多くの少年少女が、軽いいたずらのつもりで犯罪を犯しています。そして、多くの人々が神様に対して罪を犯したなら、永遠に地獄の炎で焼かれ続けるというさばきがあることを知らずに生きています。本当なら、このような罪に対して必ず罰が与えられます。

 しかし、イエス様はこの女性に「わたしもあなたを罪に定めない」とおっしゃったように、私たちも罪に定めたくないので、ご自身が罪を背負ってくださいました。そして、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、祈ってくださいました。それほどまでにイエス様は、私たちを隣人として愛してくださいました。

イエス様を信じた後でも、私たちは不完全なものですから罪を犯してしまうことがあります。けれども、いつもイエス様を見上げているなら、イエス様はその罪を指摘してくださり悔い改めに導いてくださいます。ですから一人ひとりがいつもへりくだってイエス様のみことばを聞き、自分も赦された者として、互いに赦しあい、罪から離れてイエス様の愛の中にとどまらせていただきたいと願います。