タイトル | イエス様を正しく知ろう |
聖書 | ヨハネ7:25~30 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「イエス様を正しく知ろう」です。
イエス様について、昔も今もたくさんの情報があふれています。当時はイエス様を見た人たちが話したうわさがユダヤ全土に広がりました。今は、全世界にイエス様についての情報が広がっています。その中には正しいものも、怪しいものもあります。その中で、私たちは正しくイエス様を知るためにはどうすればよいのか学ばせていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書7章25~27節
25 そこで、エルサレムのある人たちが言った。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。
26 見なさい。この人は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知ったのだろうか。
27 けれども、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。しかし、キリストが来られるとき、それが、どこからか知っている者はだれもいないのだ。」
(新改訳第三版)
仮庵の祭りはいろいろな地方から、たくさんの人が集まります。もちろん、エルサレムに住んでいる人たちもいます。この箇所で話をしているのはエルサレムの人たちです。彼らはユダヤ人の指導者たちがイエス様を殺そうと企んでいることを知っていました。しかし、イエス様が誰なのか実際に見たことがないという人たちでした。
イエス様はガリラヤ地方で宣教活動をすることが多かったので、ガリラヤにはイエス様にお会いしたという人がたくさんいます。ところが、エルサレムでの活動は、それほど多くありません。確かに、イエス様は公生涯のはじめには、エルサレムでしるしを行われましたので、イエス様をキリストだと信じた人たちもいました。そのため、エルサレムでもイエス様が約束のキリストであるといううわさが広がったのですが、実際にイエス様を見たという人は限られていました。
この箇所で登場するエルサレムの人たちは、イエス様が約束のキリストだということ、また、このイエス様をユダヤ人の指導者たちが殺そうとしているということ、この二つのうわさを聞いていたけれども、自分たちの目でイエス様を見たことがない人たちです。それでも、彼らはイエス様が語られる教えを聞いて、この人がうわさのイエス様だと確信しました。ところが、議員たちが何もしないので、不思議に思っています。
また、彼らの中でもイエス様がキリストであるということが信じられない点がありました。それは、キリストはある日突然、どこからともなく現れると信じていたからです。しかし、目の前にいるイエス様は、キリストだと言われているけれども、彼がナザレ出身であることを、彼らも知っていたので、イエス様をキリストと信じることができませんでした。
ヨハネの福音書7章28~30節
28 イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。
29 わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」
30 そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。
(新改訳第三版)
イエス様は、彼らが「私たちはこの人がどこから来たのか知っている。」と言ったことに対して、確かに彼らがイエス様のことをナザレ出身だということは間違っていないとおっしゃいました。しかし、彼らが知っているのは、人間としてのイエス様の一面だけであり、まことの神様としてのイエス様を、彼らは知らないということを指摘されます。
イエス様は肉においてはマリヤの子どもとしてお生まれになりましたが、神の御子キリストとしてのイエス様は、父なる神様から遣わされたお方です。「わたしを遣わした方は真実です。」と、イエス様が大声でおっしゃったのは、ご自身が真実であるお方、まことの神様から遣わされたキリストであること、ご自身が神の御子であるということの宣言です。
イエス様は、このようにご自身が神であるという大胆な宣言をなさったので、ユダヤ人たちはすぐにでもイエス様を捕らえようとしたのですが、誰もイエス様に手をかけることはありませんでした。それは、人々を恐れたということもありますが、何よりも背後で父なる神様がお許しにならなかったからです。イエス様が捕らえられるときは、まだ来ていなかったからです。
エルサレムの人たちは、イエス様についてのうわさを知っていました。そして、自分たちの考えと照らし合わせて、イエス様はキリストではないと判断していました。それでは、私たちは、どれほどイエス様のことを知っているでしょうか?私たちはイエス様に会ったことがありません。その点では、当時のエルサレムの人たちと同じでしょう。また、たくさんの情報を得ていることについても、変わらないのではないでしょうか?だからこそ、私たちはイエス様が大声でおっしゃったみことばを覚えましょう。
ヨハネの福音書7章28~29節
「わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。・・・わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」
(新改訳第三版)
今日、イエス様が語られたこの宣言を、信仰をもって受け止めなければなりません。私たちはイエス様を知ること、一人ひとりがイエス様との交わりをもって生きることが必要です。だからこそ、いろいろな参考書やネットの情報などのうわさばなしばかりを集めてイエス様を自分の常識と照らし合わせて判断するのではなく、イエス様が語られたみことば、聖書のみことばを聞かなければなりません。今、皆さんに語ってくださっているイエス様の御声をしっかりと聴いて、信仰によって応答をさせていただきましょう。