
| タイトル | 悲しみは喜びに変わる |
| 聖書 | ヨハネ16:17~22 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
悲しみは喜びに変わる
ヨハネの福音書16章17~22節
今日のテーマは、「悲しみは喜びに変わる」です。
皆さんの生活は苦しみ、悲しが多いですか?それとも、喜びに満たされていますか?おそらく、だれも悲しい人生など望んでいないと思います。それでも、私たちの人生に悲しいこと、つらいことは必ず訪れます。しかし、心配はありません。イエス様が悲しみを喜びに変えてくださると約束してくださっています。
今日は、みことばから、私たちの悲しみを喜びに変えてくださるという約束を受け取って、喜びに満たされた人生を歩ませていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書16章17~19節
17 そこで、弟子たちのうちのある者は互いに言った。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と主が言われるのは、どういうことなのだろう。」
18 そこで、彼らは「しばらくすると、と主が言われるのは何のことだろうか。私たちには主の言われることがわからない」と言った。
19 イエスは、彼らが質問したがっていることを知って、彼らに言われた。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』とわたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。
(新改訳第三版)
弟子たちは、イエス様がおっしゃったことを理解することができませんでした。特に、しばらくすると弟子たちはイエス様を見なくなるのに、またしばらくするとイエス様を見ると言うことがわかりませんでした。また、イエス様が父のもとに行くということも理解できませんでした。この時の弟子たちは、イエス様がイスラエルの王になるということを期待し、また確信していたため、イエス様を見なくなることなど考えられませんでした。たとえイエス様がおっしゃったように、イエス様が捕らえられ殺されるということが本当に起こったなら、またしばらくするとイエス様を見るようになることも、わかりませんでした。
このときの弟子たちは、イエス様が、すべての人の罪を背負って十字架でいのちを捨て、死んで葬られた後によみがえられるということが信じられませんでした。これは当然のことです。イスラエルの王であるお方、自然をも支配するキリストが死ぬことなど考えられません。また、死んだ人がよみがえることも信じられません。ですから、弟子たちは、互いに論じ合っていました。
私たちも、自分が経験したことや学んだことについては、想像することができますが、知らないことを説明されても、まったく理解が追い付かないのではないでしょうか。イエス様は、そのような弟子たちの心を知ってくださり、彼らに起こることを教えてくださいました。
ヨハネの福音書16章20~22節
20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。
22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
(新改訳第三版)
弟子たちは、イエス様が十字架につけられて処刑されることで泣き、嘆き、悲しみます。それに対して、イエス様を排除することができたユダヤ人の指導者たちは喜びます。このようにイエス様の死は、弟子たちには大きな苦しみとなり、イエス様に敵対する人たちにとっては喜びとなる大きな出来事です。しかし、弟子たちの悲しみは、しばらくすると喜びに変わります。
イエス様は、女性が子どもを出産するとき、大きな苦しみがあるけれども、子どもが生まれたなら、その子どもを見ることによって喜びに変わることを弟子たちに教えられました。弟子たちも、大きな苦しみを経験するけれども、復活のイエス様に出会うことによって、苦しみを忘れるほどの大きな喜びに満たされると約束してくださいました。
ヨハネの福音書16章22節
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
(新改訳第三版)
当時の弟子たちは、目の前で愛する先生が捕らえられ十字架で死なれるという大きな悲しみを経験しました。しかし、イエス様の約束通り、復活のイエス様に会うことによって、彼らの悲しみは喜びに変えられました。そのように、復活のイエス様に会うことによって、私たちの悲しみは喜びに変わります。その喜びは私たちの心を満たします。そして、その喜びを奪い去るものはありません。
私たちは、普段この世が与える喜びで心を満たそうとするかもしれません。ゲームであったり、お酒であったり、自分が好きなことで苦しみや悲しみを忘れようとするかもしれません。しかし、それらは一時的に楽しいかもしれませんが、やがてその喜びは失われてしまいます。
いつまでも変わることがない喜びで心を満たすには、いつまでも変わることがないイエス様を心にお迎えすること以外に方法はありません。イエス様に出会うことによって与えられる喜びは失われることはありません。イエス様は、昨日も今日もいつまでも変わることがなく、いつも私たちを愛してくださり、どんな苦しみの時でも支えてくださるからです。
もしも、普段の生活に喜びがなく、渇いているのなら、もう一度イエス様に会いましょう。十字架のイエス様を見上げ、イエス様に祈りましょう。そうするときに、イエス様の愛は大海のように私たちを満たし、失われることがない喜びで満たしてくださいます。