2024年1月1日「主の大庭に住む幸い」木下淳夫 師

タイトル主の大庭に住む幸い
聖書詩篇65:4
説教者木下淳夫師

主の大庭に住む幸い

今年、貞光キリスト教会に与えられたみことばは、詩篇65篇4節の前半ですが、今年最初のメッセージは、4節全体から、「主の大庭に住む幸い」を再確認させていただき、新しい一年を初めたいと願っています。 

詩篇65篇4節

幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。

私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。

(新改訳第三版)

 まず、私たちは神様に選んでいただいた者だということを覚えましょう。

 私たちは、もともとアダムの罪のため、神様を知らず、神様から離れて罪を犯していた者で、最後の審判でさばきを受けて滅ぶべき者でした。しかし、そのような者に、神様は御目をとめてくださり、イエス・キリストの福音を伝えてくださいました。この日本でクリスチャンが少ないことを考える時、今、このみことばを聴いておられるみなさんが、神様に選ばれた方であるということを実感できるのではないでしょうか。自分から神様を見出した、永遠のいのちを発見したとおっしゃる方があるかもしれませんが、私たちが神様に出会うことができるのは、神様の方からご自身を啓示してくださらなければ、私たちが神様を知ることは不可能です。イエス様も、あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだとおっしゃいました。ですから、私たちは、神様に選ばれた者だということを覚えてください。

 次に、神様に近寄せられた者だということを覚えましょう。

 私たちは、神様から遠く離れた者でした。そのような者を神様は選び、御側に招いてくださいました。イエス様の招きのことばを思い出してください。イエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。」と、すべての人、しかも疲れた人、安息が必要な人を招いてくださいました。この世で招かれる人は、成績が良い人や、仕事ができる人かもしれません。しかし、イエス様の招きは、すべて神様の愛を知らず、神様から遠ざかり、希望の光すら失っている人たちに向けられています。神様の御側に近寄せられるなら、そこには休みがあります。光があります。愛があります。私たちも、イエス様に招いていただいた者、また、自分からイエス様のもとに近づくことができないときであっても、イエス様ご自身から、私たちの側に近づいてくださり、主の御側におらせていただいていることを覚えましょう。

 そして、神様の大庭に住む者にしていただいていることを覚えましょう。

 私たちの肉体は、この地上に住んでいますが、私たちの霊は、神様の大庭に住んでいます。永遠のいのちは、この世を離れてからの恵みではありません。イエス様を信じて受け入れた時から、その恵みは注がれます。私たちは暗闇から光へ、死からいのちへ移されました。だからこそ、この地上の生涯で、私たちは日々新しく造り変えられ、キリストの似姿へと成長させていただくことができます。その移された神様の大庭は広々として、良いものが十分にあり、敵に襲われる心配もありません。神様の大庭に住むなら、聖なる宮から与えられる、あらゆる良いもので満ち足りた生活を送ることができます。

 このような幸いを、私たちは主イエス・キリストを救い主と信じ、従うことによっていただいています。イエス様の御声を聴いて、イエス様こそ救い主、イエス様こそまことの神様であり、私たちの羊飼いであると信じて従うことによって、私たちは永遠のいのちをいただき、神様の大庭に住む者、天の御国に住まいを持つものにしていただきました。この幸いを忘れることなく、いつも賛美しつつ主の門に、感謝しつつ主の大庭に入り、心から主を崇め、主を愛する一年とさせていただきましょう。