タイトル | ホサナ!いと高きところに! |
聖書 | マタイ21:1~11 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは、「ホサナ!いと高きところに!」です。
今日は、イエス様が十字架にかかるためにエルサレムに入城された日曜日を記念する日です。英語では、パームサンデーと呼びますが、日本では、枝の主日(日曜日)、棕櫚の主日、聖枝祭など、様々な呼び方がされています。
イエス様がエルサレムに入城されたこの日、エルサレムはイスラエルの王様をお迎えしようと、人々は自分たちが着ている服や木の枝を道に敷き、手にも棕櫚の枝をもって大歓声を上げました。しかし、この週の金曜日には、イエス様は捕らえられ、不当な裁判を受け、ゴルゴダの丘で十字架につけられることになります。
今日は、私たちの罪を背負って苦しみを受けるためにエルサレムに入城され、死に勝利した王の王であるイエス様を覚えて、私たちに与えられた尊い恵みを心から感謝したいと願っています。
マタイの福音書21章1~7節
1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
(新改訳第三版)
イエス様はエルサレムに入城するために、ご自身がお乗りになるロバの子を連れてくるように、二人の弟子たちにお命じになられました。連れてくると言っても、ロバは人を乗せたり、荷物を運ぶために使われる大切な家畜ですから、飼われているロバを、通りすがりの人が気軽に連れて行くことはできません。しかし、イエス様は弟子たちに、村へ行ってすぐに、ロバがつながれていて、いっしょにロバの子がいるので、それをほどいて連れてくるように命じられました。そして、だれかが何か言ったら『主がお入用なのです』と言うように命じられました。そうすれば、すぐに渡してくれると弟子たちにおっしゃって、二人の弟子をお遣わしになりました。
すると、イエス様がおっしゃったとおり、ロバがつながれていたので、弟子たちは言われたとおりにして、つながれていたロバの親子をイエス様のもとに連れて来ました。
イエス様がエルサレムに入城するにあたって馬ではなくロバの子をお選びになったのは、旧約聖書に預言されていることが成就するためです。その預言はエルサレムに来られる王は、この世の王とは異なり柔和なお方であり、ロバの子に乗って来られることを示しています。そして、この預言を成就してくださったイエス様は、すべての人の苦しみを背負ってくださり、身代わりとなって十字架への道を歩んでくださいました。
マタイの福音書21章8~11節
8 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
10 こうして、イエスがエルサレムに入られると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか」と言った。
11 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」と言った。
(新改訳第三版)
エルサレムの人々は、イエス様こそローマの支配からイスラエルを解放してくれる約束のキリスト、ダビデの子であると期待していました。ですから、彼らは自分たちの王様をお迎えしようと精一杯の歓迎をしました。彼らは自分たちの上着を道に敷きました。また、木の枝を切って来てそれを道に敷いたり、手に持って歓迎しました。そして、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」と叫びました。「ホサナ」は、もともと「私たちを救ってください」という意味ですが、イエス様をキリストと信じていた人々は、救いを確信して歓喜の叫びとして「ホサナ」と叫んでいます。この大歓声はエルサレム中に響き渡ったのでしょう。イエス様が来られたことに気付いていなかった人たちも、いったい何の騒ぎが起こっているのか、だれが来たのかと驚きました。そして、群衆はイエス様のことを「ガリラヤのナザレの、預言者イエス」と認識していたことが記されています。
マタイの福音書21章9節
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
(新改訳第三版)
イエス様がエルサレムに来られた時、人々はイエス様を「ダビデの子」「主の御名によって来られる方」また、「ナザレの預言者」と認識していました。彼らが考えていたように、イエス様は「ダビデの子」つまりダビデの子孫として来られたイスラエルの正統な王様、またキリストであり、主がお遣わしになったメシアです。また、主の御心を伝えるために来られた預言者です。それに加えて、私たちはイエス様がこの後十字架でいのちを捨ててくださるほどに、私たちを愛してくださった救い主であることを知っています。
イエス様はイスラエルの王にとどまることなく、全世界の王、王の中の王、いと高き天から来られたまことの神様です。そのお方が、大きくて立派な馬ではなく、ロバの子に乗って来てくださったことを覚えましょう。それは人を見下ろすのではなく、同じ目線に立ってくださり、私たちの悩み悲しみを知ってくださるためです。また、私たちが気付いていなかった罪すらも、ご自身が負ってくださるためです。
エルサレムの人々は、イエス様をローマに対して勝利をもたらしてくれる王としてイエス様をお迎えしましたが、私たちはこの柔和な王、イエス様がご自身の死をもって死に勝利してくださった王の王であるお方ということを覚えて、「いと高きところにホサナ、主は私たちを救ってくださった王である」と、主を賛美してまいりましょう。