2024年3月17日「いのちを与えることば」木下淳夫 師

タイトルいのちを与えることば
聖書ヨハネ6:60~66
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは「いのちを与えることば」です。

 イエス様がカペナウムの会堂で語られたメッセージは、イエス様にパンをもらおうと集まった群衆だけでなく、会堂にいたユダヤ人たち、さらにイエス様に従っていた弟子たちにとっても驚きの言葉でした。それはイエス様が比喩で語られていたので、真理が隠されていたからです。その真理を知るためには、そのみことばがこの世の意味でとらえられるものではなく、御霊によって解釈されなければなりませんでした。そして、そのイエス様が語られたことばこそ霊的ないのち、永遠のいのちを与えることばだと信じる必要がありました。

今日、私たちもイエス様が語られたみことばを、この世の常識で解釈するのではなく、聖霊様の助けをいただいて、そこに隠された真理を知り、いのちをいただきたいと願っています。

ヨハネの福音書6章60~66節

60 そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」

61 しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。

62 それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。

63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

64 しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」──イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである──

65 そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです。」

66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

(新改訳第三版)

 まず、今日の聖書個所のアウトラインから見てみましょう。まず、今回イエス様が語られた相手は弟子たちです。この弟子たちはイエス様が語られたことばにつまずいてつぶやいていたのですが、彼らが信仰をもってイエス様のもとに来たわけではないことを、イエス様はご存じでした。そのことをもう少し詳しく見てみましょう。

イエス様はご自身がいのちのパンであり、イエス様の肉を食べ、血を飲まなければ、いのちはないとおっしゃいました。このことばを聞いて、パンを求めてきた群衆だけでなく、会堂でイエス様が語られることばを聞いていたユダヤ人の指導者たち、さらに、イエス様の弟子たちまでも、イエス様が語られたことばに対してつぶやきました。

ここでいう弟子たちは、12弟子以外の弟子たちです。この弟子たちは、イエス様が「わたしの肉を食べる」「わたしの血を飲む」とおっしゃたことを聞いて、ひどいことばで聞いていられないと思い、つぶやきました。イエス様は比喩的におっしゃったのですが、イエス様の話を聞いていた群衆、ユダヤ人の指導者、また、弟子たちの多くは、この比喩が理解できずに「どのようにして自分の肉を与えるのか」と、イエス様を疑いました。また、「血を飲む」ということは、律法で禁止されていることですので、ユダヤ人にとっては信じられないことばとして受け取られました。

イエス様は、あえてユダヤ人たちが驚くような比喩を用いて語られ、弟子たちの信仰をふるいにかけられました。それは、初めからイエス様を自分の願いをかなえてくれる都合の良い王様として見ているだけで、神の御子と信じない人、また、イエス様を裏切る者をご存じだったからです。ですから、イエス様はこのようなユダヤ人たちが驚くようなことばを使って、彼らの信仰を試されました。そして、父なる神様によって真理を示され、イエス様のもとに来た人と、自分の欲だけでイエス様のもとに来た人を、選別されました。

それでは、イエス様がつぶやいている弟子たちにおっしゃったことに注目します。弟子たちが、イエス様がもといた所に上るのを見たら、彼らがまことの神様を疑ったということが明らかになります。それは大きな罪です。罪から来るのは死です。それに対して、いのちを与えるのは神様の御霊です。イエス様が話されたことばは、この世の常識で解釈しようとするとひどい言葉のように思えたかもしれませんが、それは霊的な真理が隠されていることばであり、そのみことばを信じること、みことばを語られるイエス様を神の御子と信じることこそいのちを得ることになるとイエス様は教えられました。そこに肉による働きは何も益をもたらしません。どれだけ、人々から称賛されるような行いをしたとしても、イエス様が語られるいのちのみことばを、信仰をもって受け取らなければ、永遠のいのちを得ることはできないと、イエス様は弟子たちに宣言されました。

ヨハネの福音書6章63節

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

(新改訳第三版)

 当時のユダヤ人たちだけでなく、どの時代においても、どの国においても人々は死を免れたい、永遠のいのちを得たいと願います。そのために、さまざまな宗教が起こり、さまざまな儀式が行われます。ところが、肉による行いで永遠のいのちを得ることはできないと、いのちの源であるイエス様はおっしゃいました。ただ、イエス様が語られたみことばだけが私たちにいのちを与えてくださいます。現代において、たくさんの書物や、たくさんの動画などのメディアを通して、私たちは喜びや平安をいただくことでしょう。しかし、永遠のいのち、また、そのいのちの糧は、イエス様が語られたみことば、聖書のみことば以外から得ることはできません。そして、そのみことばを聖霊様の助けをいただいて聞かなければ真理を悟ることはできません。聖書のみことばを読むとき、聖霊様の助けを求めてください。聖霊様が真理を教えてくださることを求めてください。そうすれば、真理からかけ離れた解釈をすることなく、真理を知って、いのちを豊かに持つことができます。