2023年11月26日「すべての敵の手からの救い」木下淳夫 師

タイトルすべての敵の手からの救い
聖書ルカ1:67〜79
説教者木下淳夫師

今日は、「すべての敵の手からの救い」というテーマです。

 今日、お読みするのはザカリヤが聖霊に満たされて預言したことば、ザカリヤの賛歌と呼ばれている箇所です。ザカリヤは、主が約束されていた救い主、王の王をお与えくださり、イスラエルの民を救ってくださると、主をほめたたえています。そして、生まれた幼子ヨハネが、成長してどのような働きをするのかということについても預言しています。私たちは、敵に支配されているわけではありませんが、霊においては私たちを滅ぼそうとする敵に絶えず脅かされています。ですから、私たちが神様からいただいている約束、すべての敵の手から救い出してくださるという約束を覚え、さらにその約束は何のためなのかということを学び、本当の自由を得させていただきたいと願っています。

ルカの福音書1章67〜75節

さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。

「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、

救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。

この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、

われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

(新改訳第三版)

 ザカリヤは、主がイスラエルの民を顧みてくださり、贖いをなしてくださったと語りました。当時のイスラエルは、ヘロデが建てた立派な神殿で礼拝も行われていましたが、霊的には暗闇の時代でした。ソロモンによって神殿が建てられたとき、主はソロモンの祈りを聞いてくださり、神殿に御目をとめてくださいました。しかし、度重なるイスラエルの背信により、主は神殿を離れてしまわれました。そして、イスラエルはバビロンに捕囚となりました。それ以来、地上に神様の臨在はなくなりました。また、人々の心は、自分中心となり、主の御心から離れていました。そのような中で、主はご自身の民を再び贖ってくださるため、救いの角をダビデの家に立てられました。それが、このときまだマリヤのお腹にいたイエス様です。

ルカの福音書1章71節

この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

(新改訳第三版)

 主がイスラエルの敵からの救いを成し遂げてくださるということが述べられています。この敵はイスラエルを憎む者です。イスラエルは、現在も戦争の真っただ中にありますが、昔から多くの敵に脅かされ続けています。それは、王の王、主の主であるイエス・キリストが、イスラエルの民として、ダビデの子として来られることを、悪魔が阻止しようとして、激しく抵抗するからです。イエス様がイスラエルに来られることにより、悪魔はさばきを受けます。ですから、悪魔はイスラエルを滅ぼそうと、多くの人を惑わし、争いを起こします。

ルカの福音書1章74〜75節

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

(新改訳第三版)

 主がイスラエルを救ってくださるのは、彼らが主の御前に仕えることを許されるためです。イスラエルは、ローマの軍隊によって、身体的にも経済的にも自由を奪われていました。しかし、もっと深刻だったのは、彼らが主の御前を離れてしまい、汚れを行い、不安と恐れに満ちた生涯となっていたことでした。このような状態では、たとえローマから解放されても、霊においては罪の奴隷であり、滅びに対する恐れから解放されることはありません。そのような恐怖の支配から、イスラエルを解放して、神の民として生きることができるように、主は贖いをなしてくださいました。贖いとは、代価を払って自分のものを買い戻すということです。主はご自身の民を、ひとり子イエス様の血潮という代価によって、罪と滅びから解放し、再び神の民として神様の愛と平安のうちで生きることができるようにしてくださいました。

ルカの福音書1章76〜79節

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

(新改訳第三版)

 ここから、生まれたばかりの幼子ヨハネについての預言です。ヨハネは成長すると、いと高き方の預言者と呼ばれます。そして、彼に与えられた使命は主イエス様の前を歩み、その道を整えることです。それは、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためです。イスラエルの民は、律法を学んでいても、救われるために何をすればいいのか、天の御国に入るにはどうすればいいのかという知識がありませんでした。その知識を与えるためにヨハネは遣わされると預言されています。これは、神様の深い憐みです。これまでずっと、霊において暗黒に閉ざされていた民、死の陰に座っていた民に、救いの光を照らし、永遠に変わることのない平安へと導くために、主はヨハネをお遣わしくださいました。

ルカの福音書1章74〜75節

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

(新改訳第三版)

 クリスマスを前に、私たちが覚えたいことは、神様がひとり子であるイエス様をお遣わしくださったのは、私たちを束縛するすべての敵から救い出して、生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えるためです。主に仕えるというのは、ある人にとっては不自由に感じるかもしれません。しかし、愛である主に仕えること、平和の主にお仕えすることは、愛や平和など、良いものしか受けることはありません。そこに窮屈さや、恐れなど何一つありません。私たちも、救いのための知識である、主イエス・キリストを救い主と信じる信仰によって、すべての罪が赦され、永遠のいのちをいただき、天の御国が約束されることを再確認して、クリスマスを待ち望みたいと願います。

ヨハネの福音書5章36節

(新改訳第三版)