タイトル | かなえられる祈り |
聖書 | ヨハネ9:24~34 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日のテーマは「かなえられる祈り」です。
今日は、イエス様に目を開いていただいた人の証言を通して、聖書が教えているかなえられる祈りとはどのようなものかご一緒に学ばせていただきたいと願っています。
ヨハネの福音書9章24~29節
24 そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
26 そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」
27 彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
28 彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。
29 私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」
(新改訳第三版)
パリサイ人たちは、生まれつき盲目であった人の目が開かれたことが、真実であるということを、本人だけでなく、彼の両親の証言から確認しました。本来ならば、生まれつき盲目であった人の目が開かれたのなら、その奇跡を行った人こそ待ち望んでいたメシアであると、パリサイ人たちが考えていたのですから、喜ばしいことのはずです。しかし、彼らはその奇跡を行った人が、自分たちが殺そうとしているイエス様であることから、この人と彼の両親の証言を受け入れることができません。そこで、もう一度この人を呼び出しました。そして、彼に証言の撤回を求めています。このままでは、イエス様は約束のメシアであり、イエス様を殺そうとしている自分たちが罪人になってしまうからです。パリサイ人たちは、イエス様が罪人であるということを大前提として、自分たちに都合の良い言葉を彼から引き出そうとしました。
パリサイ人たちが、このような聞き方をしてきたのなら、イエス様が神様から遣わされたお方であると証言することは難しくなります。なぜなら、彼らに逆らったら、会堂を追放されるからです。せっかく目が見えるようになったのに、ユダヤ人社会から追放されたら、社会的に生活することができなくなってしまいます。それでも、彼は真実を語り続けました。彼は、神様の恵みを受けて今、目が見えるようになっているということが事実であると証言しています。
それでも、パリサイ人たちは、彼の証言を受け入れるつもりはありません。彼らが、イエス様を罪人であると断定している根拠は、イエス様が安息日の規定を破っているということですから、パリサイ人たちは、彼からイエス様が罪を犯したという証言を、なんとか聞き出そうとして、イエス様が何をしたのか、彼に詳しく証言させようとしました。
ところが、彼はすでに一度証言したのに、パリサイ人たちが聞いてくれなかったので、だんだん苛立ちを覚え、皮肉を込めて「あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」と言いました。
パリサイ人たちにとって、この言葉は、最大の侮辱です。彼らは、自分たちはモーセの律法を学び、律法を守っているからモーセの弟子であると主張します。神様はモーセに語られたことは誰もが認めることですから、律法を守ることは神様に従うことです。しかし、彼らはイエス様がどこから来たのか知らないとして、イエス様が語られる言葉や、奇跡を神様からのものと認めるわけにはいかないという論理を展開しています。
ヨハネの福音書9章30~34節
30 彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。
31 神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
32 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
33 もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
(新改訳第三版)
彼はパリサイ人たちの脅しに屈することなく、真実を語りつづけました。彼はパリサイ人たちとの議論を通して、自分の身に起こったことを思い起こし、神様が憐れんでくださったことを確信するようになりました。そして、イエス様が神様から遣わされたお方であることを確信し、どんな迫害があっても真実を語り続ける強い信仰が与えられていきました。残念ながら、彼の証言は受け入れられず、彼は外に追い出されることになりました。
ヨハネの福音書9章31節
神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
(新改訳第三版)
イエス様が地上を歩まれた時、数々のしるしを行われましたが、すべて、神様の御心にかなったみわざでした。そのみわざを通して、多くの人がイエス様こそ神様から遣わされた方であると信じることができました。
私たちは、自分の祈りが聞かれるだろうかと不安になることがあるかもしれません。しかし、私たちはイエス様を救い主と信じたなら、もはや罪人ではありません。また、今、礼拝を捧げている皆さんは、神様を敬う人です。そのような人が、神様の御心を行うとき、その祈りを神様は聞いてくださいます。
私たちも、さまざまな祈りをします。もちろん、どんな祈りでも願いでも、神様は聞いてくださいますが、今日は、さらに一歩進んで、かなえられる祈りを捧げましょう。それは、神様の御心を行うための祈りです。御心を行うための祈りは、主の祈りで教えられていることです。御名が崇められますように、御国が来ますように、御心が地でも行われますように、私たちも神様の御名が崇められるように奉仕させていただくときに、神様を見上げる祈りです。そのために、イエス様がなさったことと語られたみことばを心に留めて、イエス様と同じ思いをもって祈ってみましょう。その時、神様はおどろくような奇跡を、私たちにも見せてくださり、多くの人がイエス様こそ主であることを知るようになります。