
タイトル | 主の栄誉を宣べ伝える |
聖書 | イザヤ43:21~24 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「主の栄誉を宣べ伝える」というテーマです。
すべてをお創りになった主は、アダムの罪によって呪われてしまった世界であっても、御心にかなったアブラムに御目をとめられました。そして、アブラムを祝福して一つの国民とされました。このように主がイスラエルをお選びになったのは、彼らが他の民族よりどこか優れたところがあったからではありません。主が大切な目的を持っておられたからです。今日は、その主が持っておられる大切な目的をご一緒に学ばせていただきたいと願っています。
イザヤ書 43章21節
21 わたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
(新改訳第三版)
私たち人間は、自分が何のために生まれたのか、ということを自分では知ることができません。なぜなら、私たちが生まれた目的を知っているのは、私たちを生んだお方だけだからです。私たちの身の回りにある製品を見ても、一見すると何に使うものかわからない製品もあります。しかし、その製品を設計した人は、それがどういう目的を持って作られているのかを理解しています。人間も同じで、創造主である神様は、私たちをお造りになるときに、それぞれに目的を持ってお造りくださいました。
このイザヤ書43章21節では、主がイスラエルの民を、ご自身のためにお造りになったと記されています。主がイスラエルをご自身の民とし、彼らにお求めになったことは、主の栄誉を宣べ伝えるということです。
主は、この地上のすべての人に対して、それぞれにご計画を持って命を与えられました。しかし、残念なことにこの世は罪に支配されているため、人は生まれながらに主の御愛から離れてしまい、死と呪いの道を歩むことになってしまいました。そのような絶望的な状況から、主はイスラエルの民を、ご自身の民としてお選びになりました。それは、彼らだけを滅びから救うためではありません。彼らを通して、全ての人が創り主である主を知り、主に立ち返り、永遠のいのちを受け取るためです。本当なら、主がすべての人に直接語りかけてくだされば良いと思うのですが、罪深い人間は神様の語りかけを聞くことができません。そのために、主は御心にかなった人に語りかけ、その人を通して同じ人間の言葉で人々に福音を伝えようとなさいました。
イザヤ書 43章22〜24節
22 しかしヤコブよ。
あなたはわたしを呼び求めなかった。
イスラエルよ。
あなたはわたしのために労苦しなかった。
23 あなたはわたしに、
全焼のいけにえの羊を携えて来ず、
いけにえをささげて、
わたしをあがめようともしなかった。
わたしは穀物のささげ物のことで、
あなたに苦労をさせず、
乳香のことであなたを煩わせもしなかった。
24 あなたはわたしのために、
金を払って菖蒲を買わず、
いけにえの脂肪で、わたしを満足させなかった。
かえって、あなたの罪で、わたしに苦労をさせ、
あなたの不義で、わたしを煩わせただけだ。
(新改訳第三版)
イスラエルは、主の栄誉を宣べ伝えるという大切な使命を与えられていたのですが、彼らの行動は主のみこころを痛めるものでした。いのちの源であり、すべての祝福の源である神様が、彼らと共にいてくださるにもかかわらず、彼らは主を呼び求めませんでした。また、彼らは主のために働こうとしませんでした。自分勝手に生きて、主に仕えることをしませんでした。主はイスラエルの民をご自分のためにお造りになったのですが、無理難題を押し付けられたのではありません。いけにえを捧げるように命じられましたが、そのいけにえの羊も穀物も主が与えてくださったものです。
それにもかかわらず、イスラエルの民は、主のために自分が労働したり、お金を払ったり、何かを犠牲にして主に捧げ物をするということをしませんでした。それどころか、彼らが主の御前に供えたものは、彼らの罪、彼らの不義でした。彼らは主が何を望んでおられるのかを知っていたにもかかわらず、みこころに背いた行いを続けてしまいました。
今日、私たちが覚えたいことは、神様がどのような目的で私たちをお造りくださったのか、そして、その目的のために主は私たちに何をしてくださっているのかということです。
イザヤ書 43章21節
21 わたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
(新改訳第三版)
イエス様の救いに与って、神様の子どもにしていただいた私たちも、このみことばをイスラエルと同じように受け取ることができます。ですから、イエス様の恵みにより永遠のいのちをいただいた私たちは、神様の栄誉を宣べ伝えるために、主の御許に招いていただいたと言えます。私たちは、なぜこの世に生まれてきたのか、自分で考えてもわかりません。しかし、私たちの創り主が、私たちを主ご自身のため、主の栄誉を全世界の人々に宣べ伝えるためにお造りくださったと教えてくださっています。ですから、私たちはこの世に生を受けた目的をしっかりと覚えて、主がいかに偉大なお方か、私たちを愛してくださっているのかを、まず自分自身で体験し、人々に宣べ伝えましょう。
もう一点、忘れてはいけないことは、主は私たちが神様の子どもとして、この世で生活していくために必要なものは、すべて備えてくださっているということです。ときどき、自分には何も特別なものは与えられていない、捧げるものが何もないと感じることがあるかもしれませんが、神様が私たちを煩わせるような要求をなさることはありません。神様から与えられた恵みを忘れることなく、感謝を持って主を崇め、主の栄誉を宣べ伝えてまいりましょう。