2023年7月2日「開かれた天」木下淳夫 師

タイトル開かれた天
聖書ヨハネ1:43〜51
説教者木下淳夫師

 今日は、「開かれた天」というテーマです。

 神様がおられる天は、罪が支配するこの世に対して閉ざされています。ですから、人間がどんなに神様に助けを求めても、天が閉ざされたままでは、人は天国に入ることができません。父なる神様は、そのような状況でも、愛する人々を天国に招きたいと切実に願っておられました。そして、天が開かれるためにこの世にお遣わしになったのが、ひとり子であるイエス様です。

 私たちは、救い主イエス様を通して、開かれた天の御国に入ることが許されたということを再確認して、天の御国にしっかりと目を向けてまいりましょう。

ヨハネの福音書1章43〜46節

43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従ってきなさい」と言われた。

44 ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。

45 彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」

46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、ガリラヤに行こうとされました。それは、ご自身に従う弟子を招くためです。すでに、イエス様の弟子になっていたヨハネ、アンデレ、ペテロと同じ町の出身であるピリポを、イエス様は招かれました。ユダヤでは、弟子になる人が、ラビに弟子入りを申し込むのが普通でしたから、ラビであるイエス様ご自身が、ピリポに「わたしに従って来なさい」と、声をおかけになることは、当時としては珍しいことです。しかし、ピリポはイエス様の招きに応えて従い、友人のナタナエルを見つけて、イエス様のもとに連れてきました。

 ナタナエルは、ピリポが「モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。」と言うので、驚いたと思います。しかし、メシヤが生まれるのは、ベツレヘムだと預言されていましたから、ナタナエルはピリポが出会ったというメシヤがナザレ出身だと聞いてがっかりしてしまいました。それでも、ピリポはイエス様が約束のメシヤであると確信していましたから、ナタナエルに「来て、そして、見なさい。」と言って、彼を引っ張っていきました。

ヨハネの福音書1章47〜51節

47 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、本当のイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」

48 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」

49 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

50 イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」

51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子を上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、ナタナエルのことを本当のイスラエル人と、高く評価しました。なぜなら、イエス様はナタナエルがいちじくの木の下で、みことばを深く冥想していたのを、霊の目で見ておられたからです。ナタナエルは一人で神様と静かに交わりを持つことを大切にしていました。彼は、自分がいちじくの木の下で静かに神様との交わりの時を持っていたことを、誰にも見られていないと思っていました。

 ところで、当時の指導者たちは、祈りをする時、わざわざ人々が大勢見ているところで祈りました。彼らは、人々から敬虔な人だと思われたかったからです。しかし、ナタナエルは人の目を気にすることなく、ただ神様との交わりだけを求めていました。ですから、イエス様はナタナエルを本当のイスラエル人と評価されました。

 ナタナエルは、はじめはイエス様がナザレ出身だと聞いて、メシヤとは信じられませんでしたが、イエス様が自分のことをすべてご存知だったことから、イエス様をメシヤと信じました。ところが、イエス様は、ナタナエルがどこにいたのか、何をしていたのかをご存知だと言うことは大したことではなく、さらに大きなことを見るようになるとおっしゃいました。それは、天が開けると言うことです。そして、神の御使たちが人の子の上を上り下りするという信じられない光景を見るようになると、イエス様はおっしゃいました。これは、天と地という今は罪によって隔てられた二つの世界が、人の子であるメシヤ、イエス様によって一つに結ばれるということで、人々が神の国に行くことができるようになることを意味しています。これこそ、ナタナエルが、イスラエルの人々が待ち望んでいたことです。

ヨハネの福音書1章51節

51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子を上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」

(新改訳第三版)

 イエス様は、ご自身が道となってくださり、人々が天の御国に入ることができるようにしてくださるため、この世に来てくださいました。この世に満ちていた罪のために、天は閉ざされていましたが、イエス様はご自身が十字架ですべての人の罪を背負い、その罰を受けてくださることによって、人々の罪をきよめてくださり、天の御国への道を開いてくださいました。ですから、私たちは、イエス様を通してでなければ天の御国へ入ることはできません。信仰生活を続けて行くうちに、さまざまな教えを聞くかもしれません。しかし、イエス様を救い主と信じて心にお迎えする以外に救いの道はないということを忘れないでください。そして、ピリポがイエス様に従ってナタナエルをイエス様のもとに導いたように、私たちもイエス様に従い、ただ一つの救いの道であるイエス様を人々に宣べ伝えたいと願います。