タイトル | 祝福の奇跡 |
聖書 | ヨハネ2:1〜11 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「祝福の奇跡」というテーマです。婚礼はとてもおめでたい時です。たくさんの人たちが、新郎新婦の幸せを願ってお祝いに集まります。今日は、喜びの婚礼に欠かすことができないぶどう酒、そして、私たちを神様の婚礼に招いてくださるために必要なぶどう酒を、イエス様が与えてくださると言うことを学ばせていただきましょう。
ヨハネの福音書2章1〜5節
1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係がいがあるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
(新改訳第三版)
今日の箇所を読むにあたりユダヤ独特の風習を三つ確認しておきます。
1、ユダヤの婚礼は、7日間続く。
2、婚礼の間にぶどう酒が足りなくなると、新郎と彼の父は恥をかく。
3、「あなたはわたしと何の関係がいがあるのでしょう。女の方。」は、柔らかく拒否する答え方である。
カナで行われた婚礼には、イエス様の母マリヤもいましたが、彼女は婚礼を主催する側にいたようです。ですから、用意していたぶどう酒が足りなくなってしまったことに気づいて困ってしまい、イエス様に相談をしました。この時は、イエス様の公生涯が始まったばかりでしたから、マリヤはまだイエス様が奇跡を行うことができるとは知らなかったと考えられます。ですから、マリヤがイエス様に相談したのは、夫であるヨセフが早く亡くなっていたため、何か困ったことがあると、長男のイエス様に相談していたからだと考えられます。マリヤは主催者側として、ぶどう酒が足りなくなって、新郎が恥をかくことがないように、なんとかしたいという一心で息子であるイエス様に相談したのでしょう。
ところが、イエス様はマリヤの息子ではありますが、この時すでに神の御子キリストとしての公生涯を歩み始めていました。父、母を敬い、従う行き方から、天の父なる神様を愛して御心を行うことを自分の行き方としていました。ですから、母としてのマリヤの頼みに対して、イエス様はやわらかく拒否されました。そして、「わたしの時はまだ来ていません。」とおっしゃって、ご自身が父なる神様のご計画に従っておられることを伝え、マリヤの願いを、母の頼みだからということで叶えることはできないと教えられました。
イエス様の答えを聞いたマリヤは、イエス様がおっしゃったことを完全に理解したかはわかりません。しかし、イエス様のことを自分の息子としてではなく、一人のラビとして、また、イエス様の弟子たちが信じているように、約束のメシヤ、キリストとして、自分も信じ始めたのでしょう。マリヤは手伝いの人たちに、「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」と、イエス様に絶対的な信頼を寄せるようになりました。
ヨハネの福音書2章6〜11節
6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた―彼は、花婿を呼んで、
10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
(新改訳第三版)
イエス様は、マリヤの願いを母からの願いだからということで奇跡を起こすことはなさらなかったのですが、あわれみ深い主、全能なる主の御心として、婚礼に集っていた人たちに祝福の奇跡をおこなってくださいました。
イエス様は大きな水瓶に水を満たすように、手伝いの人たちに命じられました。そして、イエス様は、水でいっぱいになった水瓶から、「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」とおっしゃいました。おそらく見たところ普通の水、それも、きよめの儀式に使う水ですから、飲料水ではない水を汲んで、宴会の世話役に飲ませるようにイエス様がおっしゃったのですから、手伝いの人たちも驚いたと思いますが、その水は世話役が飲む頃には良いぶどう酒に変わっていました。
この奇跡を通して、弟子たちはイエス様が創造主である神の御子であると信じるようになりました。
イエス様の栄光とは十字架です。イエス様が水をぶどう酒に変えたという奇跡は、イエス様が無から有を創造する神様であるということのしるしであり、十字架の贖いを通して人々に救いの約束を与えてくださるということを示しています。イエス様が与えてくださるぶどう酒について、イエス様は最後の晩餐の時に、このようにおっしゃいました。
ルカの福音書22章20節
「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」
(新改訳第三版)
イエス様は、カナの婚礼において、父なる神様がイエス様を信じてより頼むものに、救いを与えてくださることを示すため、良いぶどう酒を、祝福の杯としてあふれるばかりに与えてくださいました。イエス様はカナで婚礼に集った人たちに祝福のぶどう酒をくださいました。そして、今、私たちにもキリストの花嫁として祝福のぶどう酒を与えてくださっています。この恵みを覚えて、私たちも創造主である主イエス様により頼みつつ従って行きたいと願います。