2022年8月14日「だれが創造したのか」木下淳夫 師

タイトルだれが創造したのか
聖書イザヤ40:18~26
説教者木下淳夫師

 今日は、「だれが創造したのか」というテーマです。

 「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」とおっしゃる神様のみことばを学び、創造主の恵みを感謝したいと願っています。

イザヤ書 40章18〜21節

18 あなたがたは、神をだれになぞらえ、

神をどんな似姿に似せようとするのか。

19 鋳物師は偶像を鋳て造り、

金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。

20 貧しい者は、奉納物として、

朽ちない木を選び、

巧みな細工人を捜して、

動かない偶像を据える。

(新改訳第三版)

 人間は自分の力を超えた存在である神様を求め、自分を守り祝福してくれるように願いをかけます。そして、目に見える像を作り、それを神として拝みます。その像は、鋳物であったり、木であったり、材料は様々ですが、人間は神様が偉大な力あるお方、永遠のお方であると考えるので、作った像に金をかぶせたり、朽ちることがない木を材料に選んで像を据えます。

 まことの神様は確かに偉大なお方であり、永遠のお方ですが、当然金よりも尊く、やがては古びてしまう木のようなお方ではありません。そのような人間の手で作ったものは、所詮目があっても見ることができず、耳があっても聞くこともできません。足があっても歩くことができず、手があっても助けてくれることはありません。そのようなものが神様であるはずがありません。

イザヤ書 40章21〜26節

21 あなたがたは知らないのか。聞かないのか。

初めから、告げられなかったのか。

地の基がどうして置かれたかを

悟らなかったのか。

22 主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。

地の住民はいなごのようだ。

主は天を薄絹のように延べ、

これを天幕のように広げて住まわれる。

23 君主たちを無に帰し、

地のさばきつかさをむなしいものにされる。

24 彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、

やっと地に根を張ろうとするとき、

主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。

暴風がそれを、わらのように散らす。

25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、

だれと比べようとするのか」と

聖なる方は仰せられる。

26 目を高く上げて、

だれがこれらを創造したかを見よ。

この方は、その万象を数えて呼び出し、

一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。

この方は精力に満ち、その力は強い。

一つももれるものはない。

(新改訳第三版)

 神様がいかにスケールの大きな方であるのかということが示されています。地の基がどうして置かれたのかということは、誰も知りません。現代では、地球の誕生についてCGで説明されるので、いかにも本当のことのように思えますが、そのCGのもとになっているのは一つの仮説に過ぎません。天地が造られる様子を実際に見た人はいません。また、仮説に基づいて、実際に地球や生命の誕生を再現できた人もいません。そのようなものが科学的だとか、真実であると信じるのは無理があるのではないでしょうか。

 しかし、この天地を創造した神様は、当然この地の基がどのように据えられたのかをご存知です。それが創世記に記されています。人間の常識では信じられないことですが、人間はそれが偽りであることを証明することもできません。証明するためには、神様が存在しないことを証明しなければなりませんが、いまだに科学的に神様が存在しないと証明されてはいません。それならば、聖書が語る神様ご自身の姿、また、神様がなさった御業について耳を傾けることも大切なことではないでしょうか。

 まことの神様である主は地を覆う天蓋の上に住まわれるとおっしゃっています。確かにこの地球は、陸地の上にはさまざまな気象現象が起こる対流圏、その上にはオゾン層があり、紫外線を吸収している成層圏、さらに中間圏、熱圏と空気の層があり、地球に蓋をしているように見えます。神様はそれらの上に住まわれると言われています。また、天を薄絹のよう延ばして、天幕のようにして住まわれるということは、上空におられるというよりも、違った次元におられるということです。人間が作ることができない、手も届かないところであっても、神様にとっては天幕の一部にすぎないのですから、人間とのレベルの違いがわかります。地上で権威を持っている君主やさばきつかさも、神様の御前では無に等しい存在だということも納得できます。それでも、人間は神様を自分の利益のために使おうとして、自分で好みの像を作って神とし、それを拝みます。それが本当の神様でしょうか。

 神様はおっしゃいます。

26節「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」

 神様はこの天地万物を創造されたお方です。この地上のすべてのもの、またすべての現象は神様によって作り出されています。神様は力あるお方です。そして、すべてのことを一つ一つ知っておられるお方です。

 私たち人間、一人一人のことも知っておられます。さらに言うなら、私たち人間の髪の毛一本、細胞の一つひとつまで知っておられます。そして、私たちの心もご存知です。そのお方が、「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」とおっしゃっています。

 私たちは、自分が弱い存在であることを、無意識のうちに認めているのではないでしょうか。だからこそ、弱さを克服しょうと努力したり、仲間を集めたり、自分好みの神々を作ったりするのではないでしょうか。しかし、それらはやがて朽ちるものであり、人間の力ではどうすることもできない困難に対しては無力です。だからこそ、「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」というみことばに耳を傾け、創造主である神様に目を向けることです。間違った生き方をして暗闇にいた私たちを救うために来てくださった神の御子イエス・キリストを見上げ受け入れることです。私たちの罪を背負って十字架に上げられたイエス様を見上げる時、イエス様は私たちの全ての罪を赦し、人間の力では克服できない死から解放し、永遠の命を与えてくださいます。イエス様を信じて従うなら、その人は神様の子どもにしていただくという特権が与えられます。そして、力ある神様の御愛のうちに、どんなときでも平安でいることができるようになります。