タイトル | 与えられたいのちのパン |
聖書 | ヨハネ6:28~36 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「与えられたいのちのパン」というテーマです。
イエス様はすべての人に永遠のいのちを与えるために来られたのですが、ヨハネの福音書6章に登場する群衆は、永遠のいのちの大切を理解できず、毎日お腹いっぱいパンを食べることを求めて、イエス様のもとに来ました。今日は、この群衆とイエス様の対話を通して、私たちも的外れな信仰生活にならないようにしたいと願っています。
ヨハネの福音書6章28~29節
すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
(新改訳第三版)
イエス様は、今日食べるパンを求めてきた群衆に、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちにいたる食物のために働きなさい」とおっしゃいました。そして、その永遠にいのちに至る食物を与えるためにイエス様が来られたのだと教えられました。ところが、霊の目が開かれていない群衆は、イエス様がおっしゃった永遠のいのちにいたる食物を、毎日お腹いっぱい食べることができる食物と誤解したようです。ですから、群衆はイエス様が与えるとおっしゃった永遠のいのちに至る食物を得るために何をすればいいのかイエス様に尋ねました。
その群衆に対して、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」とおっしゃって、信仰によって永遠のいのちを得ることができることを教えられました。
ただ、群衆は永遠のいのちよりも、イエス様からお腹いっぱい食べることができるパンをいただきたいという気持ちに変わりはありません。
ヨハネの福音書6章30~33節
そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。
私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。
というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
(新改訳第三版)
群衆は、イエス様を信じれば、永遠に失われることがないパンがもらえる、毎日パンがもらえると解釈したのでしょう。ただ、信じるだけで毎日パンが食べられるということは、普通では考えられないことですから、彼らはイエス様が本当に永遠のいのちに至る食物をくださるのか、また、毎日パンを与えてくださるのかと疑って、イエス様にしるしを求めました。
イエス様はご自身を人の子であるとおっしゃいました。それは、当時の人々にとってイエス様がキリストであるということ、また、モーセのような預言者であることの宣言です。ですから、イエス様が本当にモーセのような預言者ならモーセと同じようなしるしを示してくれると考えました。そして、父祖たちが荒野で天からのパンであるマナを、神様からいただいてそれを食べたように、自分たちも毎日マナを食べることができるようなしるしを、イエス様に求めました。
それに対して、イエス様はイスラエルの民が食べたマナはモーセが天から与えたものではなく、神様が彼らの生活を支えるために与えてくださった食物であり、今、神様はすべての人に永遠のいのちを与えるために、天からまことのパンを与えてくださったのだとおっしゃいました。
ヨハネの福音書6章34~36節
そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。
(新改訳第三版)
イエス様が語られるみことばを聴いても、群衆は「いつもそのパンを私たちにお与えください」と言っているように、お腹を満たすパンのことが頭から離れません。そして、イエス様はご自身こそ天から下って来たいのちのパンであると教えられました。そして、イエス様のもとに来るのなら彼らが心配しているように飢えることもないし、イエス様を信じて従うなら霊的に渇きを覚えることもないと約束してくださいました。ただ、彼らはいのちのパンであるお方が、目の前にるおられるにもかかわらず、イエス様を信じることをせず、イエス様ご自身を求めることもしません。あいかわらず、お腹いっぱい食べることが彼らの関心事でした。
ヨハネの福音書6章35節
わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
(新改訳第三版)
私たちも、この群衆のように、日ごとのパンだけを求めるような信仰になっていないか注意が必要です。イエス様は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とおっしゃいました。イエス様が私たちの王として、すべてを治めてくださること、義なるイエス様の救いを求め、へりくだってイエス様の恵みを求めるとき、私たちの必要が満たされます。イエス様のもとに行くこと、イエス様を信じて従うことによって、私たちは飢えることもなく、霊においても渇くことがありません。
私たちのために十字架で御体を裂いてくださったイエス様を、日々思い起こしてください。そして、いのちのパンとして、私たちを信仰によって生かしてくださっているイエス様を仰ぎ見て、イエス様と歩む幸いを感謝したいと願います。