2023年8月13日「光の方へ行こう」木下淳夫 師

タイトル光の方へ行こう
聖書ヨハネ3:16〜21
説教者木下淳夫師

 今日は、「光の方へ行こう」というテーマです。

 この福音書は紀元90年ごろに書かれましたから、70年のエルサレム崩壊後ですから、ヨハネはエルサレムで神の国に入ることができなかった人を見たと考えられます。ですから、ヨハネは、この世にいる人が、エルサレムの悲劇を繰り返すことなく、ひとりも滅びることなく永遠のいのちを持つことを願っています。私たちも、ヨハネが伝えようとしていることを学び、自分の行動を振り返り、光であるイエス様の方へ歩んでいきたいと願っています。

ヨハネの福音書3章16〜18節

16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

(新改訳第三版)

 この世は罪に汚れてしまったのですが、それでも神様はご自身が創造されたこの世界、そして、すべての人を愛してくださいました。しかし、神様がこの世を愛してくださっても、この世に罪があるのなら、神様はこの世で人々といっしょに住むことはできません。それどころか、義なる神様は罪に対してさばきをくだし、滅ぼさなければなりません。もちろん、神様はご自身が愛する人が滅びることを望んではおられません。ですから、すべての人を救うため、ひとり子であるイエス様を世にお与えになられました。そして、イエス様を救い主と信じる人が、ひとりも滅びることなく永遠のいのちを持つと約束してくださいました。残念ながら、ヨハネがこの福音書を書いている時点でも、イエス様を信じず、自分の地位や権力を第一にして、イエス様に従わなかった人たちがいました。そのような人たちは、すでにさばかれてしまいました。ですから、ヨハネはそのようにさばきを受けて滅びる人が現れることがないように、神様の恵みの約束、福音の核心部分を簡潔に書き記しています。

ヨハネの福音書3章19〜21節

19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

(新改訳第三版)

 さばきを受けた人たちは、どのような失敗をしたのかということを、ヨハネは説明しています。ヨハネは、さばきを受けた人たちは光よりも闇を愛したからだと教えています。すべての人間はいのちの光であるイエス様の御前に出るとき、人生においてもっとも重要な決断を迫られます。それは、イエス様を信じて従うか、拒否するかのどちらかです。その決断の時は、自分が予想していないときにやってきます。そのとき、人々にとって決断の基準の一つとなるのが、普段の行いです。

 すでに、さばきに定められた人たちの場合、彼らは普段から神様に従う行動を心がけていませんでした。ですから、まことの神様であるイエス様の御前に出たときに、イエス様のもとを離れたくなりました。イエス様に従うと、これまでの行いを変えなければならなくなるからです。これは、アダムが罪を犯したとき、神様の御前から身を隠そうとしたのと同じです。普段から神様のみこころに逆らって、汚れた行いをしているのなら、イエス様が来られても、きよい生き方を選ぶことができず、悪い行いをしてしまいます。その結果、イエス様を信じて従うことができません。

 この時代に、世の光であるイエス様を信じて、イエス様の方へ来た人は、真理を行う人たちでした。熱心に律法を学び、律法を守ろうとしていた人たちの中でも、心から主を愛し真理を行おうとしていた人もいれば、人に自分が敬虔な人間だと見せるために良い行いをする人もいました。自分のために律法を行なっている人たちは、見た目は立派ですが、神様がご覧になると、そこに真理はありません。逆に、真理を行おうとする人は、見た目は律法を完全に守ることができていないかもしれません。しかし、その人は神様の御前に砕かれた、貧しい心をもって神様に近づこうとしています。ですから、光であるイエス様に心から救いを求めるようになりました。このように、神様を愛して良い行いをしようとしていた人、神様を愛するという真理を行う人は、エルサレム崩壊のような大惨事を通っても、イエス様に近づき、永遠のいのちを持つものにしていただくことができました。

ヨハネの福音書3章21節

21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

(新改訳第三版)

 今日、私たちも、自分がイエス様に近づこうとしているのか、またはイエス様から離れようとしているのか省みましょう。現代は、地震や台風、洪水、戦争など大きな災害が増えて来たのではないでしょうか。その中で、イエス様の招きの声を聞いて、どのように応答するのかは、私たちの永遠に関わる最も重大なことです。 

 神様は、御子イエス様を信じる者が、ひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つために、イエス様をお与えくださいました。このイエス様に、私たちもへりくだって近づかせていただきましょう。悪い行いに止まらないで、神様を愛し、神様の愛の中で生きるという真理の生活を選びましょう。そして、イエス様の御愛のうちに止まらせていただき、永遠のいのちをいただいた恵みを感謝して、私たちもイエス様の光をいただいて、世の光として一人でも多くの人の救いのために用いていただきたいと願います。