タイトル | 主を誇りなさい |
聖書 | 2コリント10:7~18 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「主を誇りなさい」というテーマです。
コリントの教会では、自分を推薦する人たちがいました。そのような人たちは、自分の優れていることをアピールして、高い地位を得ようとしていたようです。そのような人たちは、自分は使徒パウロよりも偉いと考えて、パウロの教え、つまり神様のみことばに従わなくなっていました。
今日、私たちも、自分を誇って神様のみことばに従わないようなことはないか、みことばを学び、キリストに従う生き方をしたいと願っています。
コリント人への手紙第二 10章7〜11節
7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
9 私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。
10 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
11 そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。
(新改訳第三版)
パウロは教会の信徒全員に対して、みことばに従うことを命じました。そして、彼らが誤った道を歩んでいる原因が、うわべだけを見ているからであると指摘しました。そして、パウロがキリストに属していること、また、主ご自身がパウロに権威を与えられたということを、もう一度、よく考えるように命じています。パウロが与えられた権威は、人をさばいて滅ぼすためのものではありません。一人ひとりがキリストにあって成長して、立つことができるように与えられたものです。パウロは、このような権威について、多少誇りすぎても恥とはならないと言うほど、普通の人には与えられていない特別な権威です。
しかし、ある人たちは、パウロが主から権威を授けられていることを認めませんでした。そして、そのような人たちの影響を受けて、コリント教会全体が混乱し、キリストに対する従順を失っていました。ですから、パウロは「離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。」(11節)と、きびしい警告をしています。
コリント人への手紙第二 10章12〜18節
12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。
15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。
16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。
17 誇る者は、主を誇りなさい。
18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
(新改訳第三版)
パウロは、自分を自己推薦しているような人たちと同列に置いたり、比較したりするつもりはないと明言しています。それどころか、人と比べること自体が知恵のないことだと、パウロは言っています。
そして、パウロは限度を超えて誇らないと宣言しています。パウロがコリントまで行ったのも、神様が遣わしてくださったからです。つまり、コリントはパウロが神様から与えられた宣教地だということです。
この当時、旅をすること自体危険を伴っていたのですが、それでもパウロはコリントまでやって来ました。それは、神様がコリントの人たちに救いの道を開くためにパウロを遣わしてくださったからです。このように、パウロがコリントへ行き、コリントの人たちに出会い、彼らが福音を聞くことができたのは、パウロが神様が定めてくださったご計画に従ったからです。だからこそ、パウロは、ただ、彼らの信仰が成長し、彼らによって、パウロたちの領域内でパウロたちの働きが広げられることを望んでいました。
コリントでは、エルサレムへの献金を集めようという働きかけが、どこよりも早く始まりました。その働きは、ほかの地域の教会にも広がり、ある教会では、自分たちの力以上に献金を捧げる人たちもありました。ただ、コリントはその働きがストップしていまた。しかし、パウロはコリントへ行くとき、それらの教会の働きを誇るために行くのではないと言っています。
コリント教会が、パウロの忠告を素直に受け入れ、主に従う教会に成長したなら、パウロは自分に与えられているさらに遠方の宣教地にも福音を伝えることができるようになります。パウロは、このように言っています。
コリント人への手紙第二 10章17〜18節
17 誇る者は、主を誇りなさい。
18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
(新改訳第三版)
コリントでは自分で自分を推薦し、ほかの人たちから認められようとする人たちがいました。そして、そのような人たちは、自分はパウロよりも知恵があるとか、話が上手いとして、自分を誇っていました。しかし、パウロはすべてのことをご存知である主に推薦される人こそ、人々に認められ受け入れられる人であり、そのような人にしてくださるのも、主ご自身だからこそ、「誇る者は、主を誇なさい」と命じています。
私たちも、さまざまなものを誇りとします。ルックスが良かったり、成績がよかったり、さまざまな場面で、さまざまなことを誇りに思うことがあります。しかし、よく考えてみると、私たちは神様から恵みをいただかなければ、ルックス、身体能力、知恵や知識、あらゆるものを得ることができません。すべては、神様から与えられたものです。だからこそ、私たちは主を誇るべきです。日々の恵みだけでなく、私たちを滅びから救い永遠のいのちを与えてくださった主イエス・キリストを誇るべきです。私たちも、あらゆる高ぶりを捨てて、与えられたすべての恵みに感謝し、キリスト・イエス様に従って歩んでいきたいと願います。