2022年5月22日「変装にだまされるな」木下淳夫 師

タイトル変装にだまされるな
聖書2コリント11:1~15
説教者木下淳夫師

 今日は、「変装にだまされるな」というテーマです。

 この世には、私たちを惑わすものがたくさんあります。その中でも、特に注意したいのが、良い人に変装した悪者です。彼らは、自分の欲のために、私たちに近づくのですが、良い人のふりをして私たちから財産を奪います。また、教会に入り込む悪者は、財産だけでなく、純粋な信仰すらも奪い取り、信徒を惑わせます。このような悪者に惑わされていたコリント教会に、パウロが書き送った警告を学び、私たちも惑わされないように注意したいと願っています。

コリント人への手紙第二 11章1〜4節

1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。

2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。

4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。

(新改訳第三版)

 パウロは自分こそ主イエス・キリストから権威を授けられた使徒であるということを、明らかにしようとしています。自分が権威を授けられているということを語るのですから、自分を推薦し、誇っているように見えるかもしれません。ですから、パウロはコリントの人たちに、「私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたい」と言っています。ただ、コリントの人たちは、すでに自分を推薦し、自分の知識や能力を誇る人たちを受け入れていましたので、パウロは、コリントの現状を皮肉を込めて注意しています。

 パウロは、コリントの兄弟姉妹が、花嫁としてイエス様に受け入れていただけるように、彼らを神様の子どもとして成長できるように、みことばを教え、導いてきました。ところが、パウロがいない間に、ある人たちが入り込み、パウロが宣べ伝えなかった教えを語りました。まったくちがった教えにもかかわらず、コリントの人たちは、その教えを受け入れてしまいました。

 

コリント人への手紙第二 11章5〜12節

5 私は自分をあの大使徒たちに少しでも劣っているとは思いません。

6 たとい、話は巧みでないにしても、知識についてはそうではありません。私たちは、すべての点で、いろいろな場合に、そのことをあなたがたに示して来ました。

7 それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。

8 私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。

9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。

10 私にあるキリストの真実にかけて言います。アカヤ地方で私のこの誇りが封じられることは決してありません。

11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。

12 しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

(新改訳第三版)

 パウロは、まちがった教えを広めた人たちのことを、「大使徒たち」と皮肉を込めて言っています。この大使徒たちは、話し方はパウロよりも上手だったようですが、彼らは、福音についての知識を持っていませんでした。それでも、彼らは報酬を受け取って教えていましたので、お金を払う価値のある先生と、信徒たちから考えられていました。

 それに対してパウロは、信徒から報酬を受け取っていませんでした。大使徒たちと呼ばれている人たちからすると、パウロは報酬を得るにふさわしくないからだと言っていたようです。

 しかし、パウロはコリントの信徒から報酬を受け取らなかったのは、マケドニアの信徒が必要を補ってくれたからであり、それによってパウロは、自分を低くして福音を伝えることができたのだと説明しています。福音を聞くためにお金が必要だとしたら、貧しい人に福音は届きません。ですから、パウロは福音を伝えるにあたり、報酬を求めませんでした。もちろん、パウロがコリントの人を愛していないからではありません。それどころか、他の人から見捨てられるような貧しい人をも愛していたからこそ、報酬を受け取らなかったということがわかります。パウロは、だれにも重荷を負わせたくないと考えていたからこそ、コリントで天幕作りをして生活費を稼ぎながら伝道していました。本物の使徒であるパウロが報酬を得ないことを、使徒を自称している人たちは批判をしますが、それは、自分が報酬をもらいやすくするためです。パウロは、報酬を得ないことによって、自分も使徒として誇りたいと考える人たちに対して、使徒はお金儲けのために働いているのではないことを明らかにし、彼らが誇る機会を断ち切り、教会から出て行くことを願っていました。

コリント人への手紙第二 11章13〜15節

13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。

(新改訳第三版)

 パウロは、自分は権威ある者だと自称し、自分を推薦し、自分の知識や能力を誇り、人を自分に従わせようとする人たちを、「にせ使徒」と呼びました。ただ、このような偽物が現れることは珍しいことではなく、サタンさえ光の御使いに変装すると教えています。サタンが偽装するのですから、サタンに惑わされ手下として従っている人たちが、偽りの権威を振りかざして人を惑わすのも当然のことです。ただ、そのように偽りの権威によって人を惑わす者の最期は、きびしいさばきであると、パウロは教えています。

 今日、私たちが覚えたいことは、私たちの周りにも、自分の知識や能力を誇り、私たちを真理であるイエス・キリストから引き離そうとする人たちが存在するということです。そのような人たちの見かけは、光の御使いのように見えることがあります。しかし、サタンが光の御使いに変装するように、真理に反する人たち、反キリストと呼ばれる人たちも、敬虔な信徒のような顔をして、偽りの教えを広めようとします。

 現代は、さまざまな情報が手軽に入手できます。しかし、すべてが真理であるとは限りません。私たちが得た情報が、受け入れても良いものかどうかは、みことばに照らし合わせて判断しましょう。このような時代だからこそ、いつも主の教えを喜びとし、昼も夜も口ずさみ、惑わされることなく真理の道を歩んでまいりましょう。