2022年1月9日「天にある永遠の家」木下淳夫 師

タイトル天にある永遠の家
聖書2コリント5:1~5
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは「天にある永遠の家」です。

 私自身、この2、3年でずいぶん体力の低下を感じます。皆さんはいかがでしょうか?そのような肉体の弱さや、おとろえを感じるとき、今日、ご一緒に学ばせていただく、みことばの真理を思い出して希望を持っていただきたいと願っています。

コリント人への手紙第二5章1〜5節

1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。

3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。

4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。

(新改訳第三版)

 使徒パウロは、福音を宣べ伝えて旅を続けましたが、安全な宣教活動ではありませんでした。異教徒からだけでなく、同胞のユダヤ人からも迫害され、命の危険もありました。しかし、パウロは自分たちの苦しみを通し、そこに主イエス様の栄光が表され、人々がイエス様を、まことの神様であり唯一の救い主と信じるように導かれることを知っていましたので、パウロは自分が受ける苦しみも、将来に備えられている主の栄光に比べれば、何ともないことだと考えていました。パウロは、(2コリント4:18)「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」と言っているように、目には見えないけれども、神様が約束してくださっている祝福に目を留めていました。

 ここでパウロは、自分の肉体のことを地上の幕屋にたとえています。幕屋は丈夫な住まいではありません。長年使用すれば当然いたみもひどくなり、やがて使用することができなくなります。人間の肉体も、年齢を重ねると衰え、やがて死を迎えます。また、事故などによっても肉体は傷つけられます。嵐にさらされた幕屋が痛んでいくように、パウロの肉体は、多くの迫害を受けることによって、ボロボロになっていきました。しかし、パウロは目に見える肉体に目を留めることなく、天にある永遠の家、神様が与えてくださる栄光のからだに目を留めて希望を持っていました。

 パウロは、この地上ではさまざまな試練を受けて、もがきうめいていましたが、それは肉体の苦しみのためではなく、天からの住まい、イエス様が死からよみがえられたときのような、栄光のからだが与えられることを切望するうめきだと言っています。天にある永遠の家、天から与えられる住まいである、復活のからだ、栄光のからだは、それほど価値のあるものです。

コリント人への手紙第二5章4節

そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

(新改訳第三版)

 私たちは、アダムが犯した罪のために死ぬべきことが定められています。しかし、イエス様が第二のアダムとしてこの世に来てくださり、完全な人としての生涯を全うしてくださいました。そして、私たちの罪をすべて背負って十字架で死んでくださり、墓に葬られ、三日目に栄光のからだでよみがえってくださいました。それによって、私たちもイエス様を信じるなら、すべての罪が赦され、死からいのちに移されます。私たちの霊は、永遠の滅びに向かっていたのに、イエス様の恵みによって、永遠のいのちをいただくことができます。

 ただ、私たちの肉体は、やがて朽ちてしまいます。しかし、そのような弱い肉体も、神様は天においてイエス様と同じように、朽ちることがない栄光のからだに変えてくださいます。

 神様は、このような信じられないようなプレゼントを、私たちのために用意してくださっています。これは、私たちが何か良いことをしたから与えられるというものではありません。ただ、神様の一方的な御愛により、恵みによって与えられたものです。それを私たちは信仰によって応答することによって受け取ることができます。さらに、このすばらしい約束の保証として、神様は御霊を与えてくださり、みことばが真実であることを示してくださっています。

コリント人への手紙第二5章1節

私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

(新改訳第三版)

 皆さんは、自分の体に不調なところはありませか?だんだんと思うように動くことができなくなったとしても、心配する必要はありません。神様は皆さんのために、天にある永遠の家を備えてくださっています。永遠に失われることがない栄光のからだを、イエス様を信じる一人一人に、神様は用意してくださっています。

 私たちは、体に不調があると、精神的にも、霊的にも弱ってしまいますが、パウロが栄光のからだを待ち望んでいたように、私たちも天から与えられる新しい復活のからだを待ち望みましょう。私たちは、新しいからだに変えられたなら、死ぬべきものはいのちにのまれます。たとえ、この地上で苦しいときが続いても、このすばらしい希望があることを覚えて、イエス様とともに歩ませていただきましょう。