2021年10月10日「キリストのかおり」木下淳夫 師

タイトルキリストのかおり
聖書コリント人への手紙手紙第二 2:12~17
説教者木下淳夫師

 今日は、「キリストのかおり」というテーマです。

 私たちが感じ取る良い香りは自律神経を整え、疲れた心と身体を癒してくれます。良いかおりにはいろいろありますが、キリストのかおりは、身心を癒すだけでなく、魂を救う力もあります。パウロは自分の願っていない道を歩むことになっても、いつも変わらないキリストのかおりを放ち続けていました。私たちもイエス・キリストを覚えて、人々にキリストにある愛と平和の香りをとどけたいと願っています。

コリント人への手紙第二 2章12〜13節

12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、

13 兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。

(新改訳第三版)

 パウロは、トロアスに行ったときに、神様がマケドニヤへの門を開いてくださったので、マケドニヤに向かいました。ただ、パウロは、マケドニヤへ行く前にコリントへ行きたいと思っていました。それでも、パウロは神様の導きに従って、自分の計画を変更して、マケドニヤへ向かいました。パウロは、トロアスにいる間に、少なくともテトスに会ってコリントの様子を聞き、安心してからマケドニヤへ行きたいと願っていましたが、テトスに会うこともできなかったので、心に安らぎを持つこともなく、マケドニヤへ行くことになりました。いつも、神様の導きに従って、平安を持っていたパウロが、心に安らぎがないまま、マケドニヤに向かったと言うほど、パウロはコリントの人たちの様子が心配だったことがわかります。コリントの一部の人たちが、パウロはコリントを軽視していると誤解していましたが、パウロは彼らをどれほど愛しているのかということを伝えています。それは、パウロとともにおられるイエス様が、救いに与ったコリントの信徒、また、私たちのことをどれほど愛しているのかということを示しています。

コリント人への手紙第二 2章14〜17節

14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。

15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。

17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。

(新改訳第三版)

 神様は、パウロの願っていた道を開いてはくださいませんでした。しかし、パウロは神様に感謝しています。なぜなら、神様は自分の思いを超えて、自分たちを用いてくださることを経験したからです。どこに行っても、どんなときでも、死に勝利したイエス・キリストにつながるものとして、人々に福音を伝える働きをすることができました。パウロたちが語る言葉だけでなく、なにげない振る舞いすらも、この世で希望を失っている人々にとっては、キリストの恵みを感じ取ることができる良いかおりになっていました。

 もちろん、すべての人がイエス・キリストに対して好意的というわけではありません。イエス様に敵対して、悪魔の支配下で活動することを自分から選んだ人たちもいます。そのような人たちは、最後には滅びに至ります。しかし、そのような人たちも、イエス・キリストのかおりに出会わなければ、悪魔の側にいることを自分でも気付きません。このように、キリストのかおりは、それを受け取った人に、今まで気付かなかった自分の本当の姿を見せることになります。その上で、救いを求めてイエス様を受けいれるのか、イエス様を拒否するのかという選択をすることになります。

 パウロはコリントの人たちに対してもイエス様に従うか、拒否するのかという選択を迫りました。パウロは、イエス・キリストの愛と赦しだけでなく、厳しい戒めの言葉も語りました。それは、パウロが考えた教えではなく、イエス・キリストのみこころだからです。イエス様は、すべての人を愛してくださり、すべての罪を赦してくださり、神様の子どもとして立派に成長することを願っておられます。また、罪に対しては厳しくさばきをされます。コリントの信徒が、パウロを通して受け取るキリストのかおり、キリストのみことばは、人を救うことも、滅ぼすこともできました。それは、受け取る人次第です。パウロは、決して嘘を語ることはしません。忖度もしません。ただ、パウロは、神様のみことばをまっすぐに語り、すべての人に永遠のいのちを受け取ってもらいたい、そして、神様の子どもとして、イエス・キリストに似た者へと成長して欲しいと心から願っていました。それが、キリストのみこころだからです。

 パウロは、自分の願った道ではないところへ導かれました。しかし、パウロは神様に感謝していました。神様はいつでも、どこででも、パウロをキリストを知っている人、キリストと一つにされている人として、キリストのすばらしさ、キリストのかおりを、人々に伝えてくださったからです。

 私たちも、イエス様を救い主と信じて従う決心したなら、誰でもパウロと同じように、キリストのかおりを放つ人にしていただけます。キリストの愛と赦しを伝える人になります。イエス・キリストが私たちといつもともにいてくださるからです。私たちからは、罪の匂いが出るかもしれません。しかし、イエス様に従うなら、イエス様は私たちを清めてくださり、人々に愛と平和の香りを伝える人にしてくださいます。ですから、いつも一緒にいてくださるイエス様のかおりを受け取りましょう。そして、そのキリストのかおりを人々に伝えていきたいと願います。