
| タイトル | 希望の約束 |
| 聖書 | 1テサロニケ4:13~14 |
| 説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、召天者合同記念礼拝を皆さんと一緒に守ることができ感謝しています。
仏教で行われている法要は、読経や焼香などの「故人を供養するための儀式」で、法要を通じて故人を供養して「故人がよりよい世界に生まれ変われるように」と願うそうです。それに対して、キリスト教はイエス様を救い主と信じて従うなら、その人は神様のさばきを受けることがなく、天の住まいに招かれることが約束されていますので、故人のためにお祈りする必要はありません。聖書の教えでは、イエス様を信じた人は、この世を離れると神様の御許に永遠に住むことができるので、これ以上幸いなことはありません。ですから、仏教のようにより良い世界に生まれ変われるようにお祈りする必要がありません。また、どのような形で生まれ変わるだろうかと心配する必要もありません。
テサロニケ人への手紙第一 4章13~14節
13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
(新改訳第三版)
聖書では、亡くなった方のことを「眠った人々」と呼んでいます。私たち人間は、肉体のすべての活動が止まって、もはや動くことがない状態を死んでいると考えますが、聖書はそのような状態であっても、その人は眠っていると言っています。なぜなら、イエス・キリストを自分の救い主と信じて従い、信仰をもって亡くなった人は、イエス様が十字架でいのちを捨て、墓に葬られた後によみがえられたように、復活するからです。亡くなった人は、何か他のものになるのではなく、神様から新しいからだを与えられてよみがえります。
イエス様は、死刑宣告を受けた後、全身がボロボロになるまで鞭を打たれました。そして、手と足に釘を打たれて十字架に架けられました。ですから、イエス様のご遺体は、もはや誰なのかもわからないくらいに傷だらけだったのですが、よみがえられたイエス様は、十字架に打ち付けられた手足の釘の後、槍で突かれたわき腹の傷跡の他、すべての傷がなくなっていました。そして、弟子たちと食事をしておられたことから、よみがえられたからだは、今までと同じように、人間として活動できる肉体でした。また、扉を閉めていた部屋にも入ることができたように、霊である神様の性質も持ったからだでした。復活のからだが神様の性質であることから、病気になったり、衰えたりすることがない、永遠に変わることがないからだであることがわかります。イエス様を信じた人たちは、そのようなからだを与えられます。
このように、イエス様を信じる人は、イエス様がよみがえられたことにより、自分も復活の希望が与えられます。
この復活の希望は、信仰を持った人だけのものではありません。この世に残された遺族にとっても大きな慰めであり、希望になります。愛する家族が、この世を離れて天国にいるとわかっているだけでも安心が与えられます。それだけでなく、定められた時が来ると、天に召された人たちは、復活のからだを与えられて、他の人の目にも見える姿でよみがえります。その時、地上で生きている人たちは、神様によって空中に引き上げられ、イエス様と、そして、天国から来た家族と再会し、いつまでも一緒にいるようになります。
これが神様の約束です。ですから、愛する家族がなくなった時でも悲しみに沈み絶望する必要はありません。愛する人は、私たちの目には見えなくなっていても、永遠の神様の御許で、愛と平安に満たされていて、やがて栄光のからだでよみがえることが約束されています。そして、私たちも、イエス様を信じて従うなら、先に天国に行かれた人たちと同じように、神様の御許で再会する希望が与えられています。
召天者合同記念礼拝は、神様の約束のみことばを覚えて、先に天国へ行かれた人たちのことを覚え、また、私たちをイエス様の十字架と復活によって滅びから救い、天国の住まいを用意してくださった神様に感謝と賛美をお捧げします。今日、記念している兄弟姉妹は、約束の通り天の住まいに移され、約束された時に栄光のからだを与えられ、残されている私たちと再会するときを待ち望んでおられることでしょう。ここに集ってくださった皆さんが、天国にいる方々のように、神様から与えられる愛と約束を受け取り、天国の希望を持って残された人生を歩まれることをお祈りします。