2020年10月4日「ヨナタンとダビデの契約」木下淳夫 師

タイトルヨナタンとダビデの契約
聖書1サムエル20:12~17
説教者木下淳夫師

 

 今日は、「ヨナタンとダビデの契約」というテーマで、ご一緒にヨナタンが、ダビデと、自分の家族をどれほど大切にしていたのかを学び、私たちも主から愛されていること、また、愛することの大切さを学びたいと願っています。まず、ヨナタンがダビデと約束を交わすことになった経緯を簡単にお話しします。

 サウルは、ダビデを殺すとヨナタンや家来たちに告げました。しかし、ヨナタンの説得によって、サウルは思い直して、ダビデを殺さないと誓いましたので、ダビデは以前のようにサウルに仕えていました。ところが、サウルにわざわいをもたらす主の霊が臨んだために、サウルはダビデを槍で殺そうとしました。そのため、ダビデはサムエルの元に逃げました。それでも、サウルはダビデの命を狙って追いかけてきました。

 ですから、ダビデは、ヨナタンにサウルに命を狙われていることを告げました。ヨナタンは、父サウルが「ダビデは殺されることはない」と誓ってくれたにもかかわらず、ダビデを殺そうとしていることが信じられませんでした。しかし、ダビデの願いを聞いて、ヨナタンは主に誓って、ダビデと約束しました。

 その約束の言葉が12節からです。

サムエル第一20章12〜17節

12        ヨナタンはイスラエルの神、主に誓ってダビデに言った。「あすかあさっての今ごろ、私は父の気持ちを探ってみます。ダビデに対して寛大であれば、必ず人をやって、あなたの耳に入れましょう。

13        もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がしてあげなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように。主が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。

14        もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、

15        あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」

16        こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われるように。」

17        ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。

(新改訳第三版)

 

 ヨナタンがダビデに語ったことは、サウルの気持ちを探り、ダビデに対して寛大であるのか、害を加えようとしているのかを確かめ、報告するということです。

13節「あなたを無事に逃がしてあげなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように」

とありますように、ヨナタンはダビデの安全を第一に考えていることがわかります。そして、

「主が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。」

と、主がダビデとともにおられることを願っています。ですから、ヨナタンはサウルが王であり続けることや、自分が王位を継承することを願わず、主に選ばれた器であるダビデが王位に就くことを願っていると言えます。

 ただ、王が支配する他の国々を見ても、新しい王が立てられると、前の王家はすべて滅ぼされることが通例でした。ですから、ダビデが王になるなら、ヨナタンを含めたサウルの家の者は、一人残らず滅ぼされてもおかしくありませんでした。

 ですから、ヨナタンは、主の御心によって自分は死ななければならないのなら、素直に死を受け入れるけれども、ヨナタンの家の者まで、命を奪うことをしないで欲しいと願いました。サウルの家を滅ぼすことが主のみこころであったとしても、ヨナタンの家族を何とかして助けて欲しいと、ダビデに願っています。ヨナタンは、それほどまでに家族を愛し、また、ダビデを信頼していました。そして、

「主がダビデの敵に血の責めを問われるように。」

と、主にすべてのさばきを委ねました。

 これは、ヨナタンが、どれほどダビデを愛していたのかが伝わってくる、約束の言葉です。そして、その愛はイエス様を通して、私たちにも同じように注がれています。

ヨハネの福音書10章11節

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

(新改訳第三版)

 ヨナタンは、ダビデを愛していました。ヨナタンは、自分の父がダビデを殺そうとしているという恐ろしい罪を犯しているため、自分も罰を受けることは仕方がないという覚悟を決めていました。そして、自分のいのちよりも、主がお選びになったダビデを助けたいと願うほどに、ダビデを大切にしていました。

 イエス様は、父なる神様のみこころをご存知でした。父なる神様が、ご自身の義のゆえに罪人である私たちにさばきを下さなければならない、けれども、なんとかして愛する私たち人間を救いたいと願っておられることを、イエス様はご存知でした。そして、イエス様は、父なる神様と同じように、私たちを愛してくださり、ご自身がいのちを捨て、私たちの罪の贖いをすることを選んでくださいました。

 ヨナタンがダビデを愛したように、イエス様は私たちをいのちがけで愛してくださいました。そして、ヨナタンが自分の家を愛したように、イエス様はご自身の家族、神の家族である兄弟姉妹に対して、「互いに愛し合いなさい」と戒めを与えてくださいました。

 今日、ダビデとヨナタンの素晴らしい友情を見ることができましたが、私たちは、ヨナタンとダビデの友情よりもすばらしい、愛を注いでくださる友であるイエス様がいっしょにいてくださることを覚え、イエス様を愛し、信頼して従ってまいりましょう。また、イエス様が与えてくださった、神の家族を大切にして、互いに愛し合っていきたいと願います。

 サウルはダビデが自分の王位を狙っていると疑い、ダビデを恐れて彼を自分から離れたところに配属して、戦いに送り出し、できることならそこで戦死することを企んだのでしょう。ダビデは千人隊の長という高い地位を与えられて、戦争に出ることになりましたが、サウルの意図を考えると、非常に危険な戦いが続いたことと思います。

 ところが、ダビデはそのような状況でも民の先頭に立って戦い続け、どこに行っても勝利を収めました。それは、ダビデがゴリヤテと戦ったときと同じように、主がイスラエルを守ってくださると信じて、主により頼んで戦っていたからです。主は、そのようなダビデとともにいてくださり、勝利を与えてくださいました。 その結果、サウルはダビデをさらに恐れるようになりました。しかし、イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛するようになりました。ダビデはきびしい戦いを通して、人々に信頼され愛されるようになりました。それは主がダビデとともにいてくださったからです。それに加えて、ダビデが彼らの先に立って行動したということが、人々の信頼を勝ち得た理由であると聖書は教えています。

 私たちも日々の生活の中で、さまざまな戦いを経験しますが、そのときにどのように戦うべきなのかということを、ダビデの行動から学ぶことができます。

第一、主を愛すること。

第二、主に対して忠実、人に対して誠実であること。

第三、信仰を持って行動すること。

ピリピ人への手紙2章6〜9節

6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。 9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

(新改訳第三版)

 イエス様が父なる神様に十字架でいのちを捨てるまで忠実に従われたこと、そして、主はイエス様を高く引き上げられたことを覚えましょう。私たちも、ダビデのように、またイエス様のように、主に忠実に従いましょう。また、イエス様が使える者の姿を取ってくださったように、人に対して誠実に仕え、主がともにいてくださることを感謝して、行動していきたいと願います。そうすれば、イエス様が高く上げられたように、主は私たちも高く引き上げてくださり、ダビデのように人々に愛される人生を与えてくださいます。