2021年5月30日「主を畏れることは大きな恵み」木下淳夫 師

タイトル主を畏れることは大きな恵み
聖書使徒の働き2:42~47
説教者木下淳夫師

 昨年から、新型コロナウイルスの影響で、教会の活動も難しくなってきました。そこで、今日は、初代教会が急速に成長した要因をみことばから学ばせていただき、私たちの今後の活動への導きをいただきたいと願っています。

使徒の働き2章42節

42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

(新改訳第三版)

 ペンテコステの日に、ペテロのことばを聞いて、悔い改めてバプテスマを受けた人たちは、使徒たちの教えを固く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました。これが、初代教会の教会生活です。

使徒の働き2章43〜45節

43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。

44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。

45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

(新改訳第三版)

 42節に記されている生活をしていた信徒の心に、主に対する畏れが生じました。それは、彼らが主を知るようになったからです。人間同士の関係でも、相手がどういう人か分からなければ、畏れることはありません。しかし、自分の目で相手を見て、あるいは、相手と話をし、相手を知ると、相手に対する感情や態度が変わってきます。当時の信徒たちは、バプテスマを受け、約束の聖霊を受けたことにより、今まで曖昧だった主なる神様を、はっきりと知るようになりました。そのために、彼らは自分たちがどれほど大きな罪を犯してきたのか、また、それにもかかわらず、イエス様が救いの手を差し伸べてくださった大きな御愛、そして、神様の偉大さをを知りました。そのため、彼らの心には、神様への感謝、愛だけでなく、偉大なる方への畏れが生じました。

 また、彼らが主を知ることができたのは、使徒たちの教えや、彼らが行った不思議としるしも関係しています。この世に歩調を合わせていた人たちは、すぐに今までの考え方を変えることは困難です。神様が全能なお方だと話を聞いても、すぐには信じることができません。特にユダヤ人は、しるしを求める民です。主はそのような民の性質もご存知で、使徒たちに不思議としるしを行う力も授けておられました。これによって、当時のラビたちの教えを受けていた人たちも、イエス様がまことの神様であり、使徒たちを通して語られるイエス様の教えが真理であることを、信じるようになりました。そして、イエス様が命じられたように、彼らは互いに愛し合うという戒めを守り、互いに生活を支え合いました。

使徒の働き2章46〜47節

46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

(新改訳第三版)

 信徒たちの行動の変化は、主を恐れることから始まりました。ですから、彼らは、毎日、宮に集まり主を礼拝しました。そして、家に帰ってからも、喜びと真心を持って、互いにパンを裂いて一緒に食事をしました。

 新しい宗教は、理想を追求するあまり極端になりがちです。しかし、初代教会における信徒たちの信仰生活は、伝統的なユダヤ教の人たちから見ても、主を愛し、隣人を愛する理想的な生活でした。本当なら、すべてのユダヤ人たちが、このような生活をしたいと願っていたのでしょう。しかし、罪に捕らわれている人間は、自分中心になってしまいますので、貧しい人たち、弱い人たちを助けて、一緒に喜びと真心をもって食事をし、また、一緒に神様を礼拝することができませんでした。そのような人たちにとって、初代教会の信仰生活はとても素晴らしく感じられました。そのような信徒の信仰生活が証となり、さらに救われる人が起こされました。これはすべて主ご自身が、彼らを世の光として用いてくださった結果です。

47節 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

 初代教会が、すべての民に好意を持たれたのは、彼らの信仰生活が、主を愛し、隣人を愛する生活だったからです。2ヶ月前には、イエス様を十字架につけた人々が、そのようなすばらしい信徒になったのは、聖霊の恵みを受けたからです。彼らは自分たちの罪を認め、心から悔い改めて主に立ち返りました。そして、彼らは聖霊に満たされたことにより、主の愛をさらに知ることができました。また、謙遜に使徒たちの教えに耳を傾け、語られるみことばに従ったことによって、一人ひとりが主の恵みをいただき、神様の子どもとして成長したからです。

 私たちも、初代教会が主から与えられた恵みを覚え、罪を悔い改め、聖霊の満たしを求めましょう。そして、聖書のみことばを学び、みことばに従い、主を畏れ、主を深く知ることを求めましょう。そのように、私たちの心が変えられると、私たちは心を一つにして、主を賛美し、兄弟姉妹を愛し、すべての人に好意を持たれるようになります。まだ、直接人々と交わりを持ち、伝道することが困難に思える状況が続いていますが、初代教会を祝福してくださった主は生きておられます。主を恐れつつ、心を一つにして主を礼拝し、主が救われる人々を仲間に加えてくださることを期待してまいりましょう。