タイトル | 同じ信仰を受けた方々へ |
聖書 | ペテロの手紙第二 1:1~4 |
説教者 | 木下淳夫師 |
今日は、「同じ信仰を受けた方々へ」というテーマで、礼拝を捧げている私たちが何を信じ、どのような恵みを頂いているのか、また、その恵みをいただいて、どのように成長するのか再確認して、この世にあるさまざまな欲の誘惑を離れて、正しい道を歩んでいきたいと願っています。
ペテロの手紙第二 1章1〜2節
1 イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。
2 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
(新改訳第三版)
この手紙を書いたのは、シモン・ペテロです。そして、手紙の宛先は、使徒たちと同じ信仰を受けた信徒たちです。この信仰はイエス・キリストの義によって与えられたと記されています。また、イエス・キリストについて丁寧に記されています。イエス・キリストは、私たちの神であり、救い主であると、ペテロは明言しています。
そして、ペテロは、この手紙の読者の上に、神様の恵みと平安が豊かにあるようにと祈っています。ただ、ペテロは、自分が側にいなくても信徒が、いつも神様の恵みと平安をいただいて、信仰生活を続け、キリストの似姿へと日々成長できるようにと願っていましたから、「神と私たちの主イエスを知ることによって」と、信徒自身がイエス様をより深く知り、祝福を受けるようになることを祈っています。
私たちも、誰かにお祈りをお願いすることがあります。これはとても大切なことで、一緒に祈ってくれる人がいることは、私たちの支えになります。しかし、自分が祈ってもダメだから、誰かにお願いするということにならないように注意してください。ペテロは信徒は誰でも、使徒たちと同じ信仰を受けたこと、主イエスを知ることによって、恵みと平安が豊かにされることを教えています。ですから、主イエスを知ることの大切さを覚えながら、この後のみことばを読んでまいりましょう。
ペテロの手紙第二 1章3〜4節
3 というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。
4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
(新改訳第三版)
イエス様は、私たちをご自身の栄光と徳によって召してくださいました。
「徳」と訳されているギリシャ語アレテーは、人間が持っている優秀な能力、また内面のすばらしさを意味していますから、私たちが救いに与ったのは、イエス様がまことの神様であるという栄光、また、イエス様がなしてくださった、すばらしいみわざによるということです。
イエス様がなしてくださったみわざというのは、まことの神様であるにもかかわらず、人となってこの世に来てくださったこと、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目によみがえられたことです。神としての栄光を持っておられるイエス様が、人となって成してくださったこのみわざによって、私たちは神の国に招いていただきました。
私たちは救いの道を自分では見つけていません。それどころか、罪を犯していることも気づかず滅びの道を歩んでいました。しかし、イエス様が十字架と復活によって救いの道を開いてくださり、私たちをいのちと祝福の道へと導いてくださいました。私たちはただ私たちに御目を止めてくださり招いてくださったイエス様を救い主と知り、信仰によってイエス様を受け入れたことによって、永遠のいのちを与えていただきました。また、イエス様の御力は、私たちに永遠のいのちを与えるだけでなく、神様の子どもとして生きる敬虔さも、与えてくださいます。神様の子どもとして生まれたけれども、その後どのように生きていけばいいのか分からなければ、救われる以前と変わらない、この世と調子を合わせた罪深い生活しかできないからです。
イエス様を信じたことによって、信徒には、永遠のいのちと敬虔に関するすべてのことを与えられます。これは、人間が考えたものではなく、まことの神様が人間に与えてくださった約束です。神様は約束を必ず成就してくださいます。私たちが信じたことが、真実な神様の約束だからこそ、私たちは平安と希望を得ることができます。この世にいる限り、あらゆる欲の誘惑があります。これらは信徒を神様から引き離し、滅びに至らせるものです。しかし、私たちが信じた救いの約束は、やがて訪れる永遠の滅びを免れ、神様のご性質にあずかり、天の御国で祝福を受けるという希望を与えてくれます。
私たちは、自分では力のない者、弱い者と思うかもしれません。しかし、みことばから教えられたように、私たちは使徒たちと同じ尊い信仰を受けています。それだけではありません。私たちが神様のご性質にあずかる者になるように、神様から素晴らしい約束が与えられています。しかし、約束を知らなければ、宝の持ち腐れです。だからこそ、私たちは聖書を通してみことばを学びます。そして、みことばの約束を自分のものとして、恵みと平安をますます豊かにしていただくことができます。そのために、日々、聖書のみことばを読み、礼拝で語られるみことばを、ご一緒に受け取ってまいりましょう。神様から与えられた約束を自分から受け取って、この世のあらゆる欲の誘惑を離れ、イエス様の似姿へと成長していきたいと願います。