2023年10月29日「いのちの源であるイエス様」木下淳夫 師

タイトルいのちの源であるイエス様
聖書ヨハネ5:19〜24
説教者木下淳夫師

 今日のテーマは「いのちの源であるイエス様」です。

 私たちは、親から生まれます。親は、その親から生まれました。では、一番初めに生まれたのは誰でしょう?また、その最初の人はどうやって命を得たのでしょう?

 私たちの肉体については、細胞についても研究が進んで、いろいろなことがわかってきていますが、いのちがどこにあるのか、どこからきたのかということは、よくわかりません。しかし、聖書は創造主である神様、主イエス・キリストこそ、私たちの命の源であると教えています。イエス様は、私たちに命を与え、また、さばきを下すお方であることを覚えましょう。

ヨハネの福音書5章19〜21節

19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。

21 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

(新改訳第三版)

 イエス様は、イスラエルの民が礼拝している唯一の神様を「父」と呼ばれました。この表現は、イエス様が神様の子どもであり、ご自身も神様であることを示している言葉です。ですから、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様が自分を神とする発言をしたことが神への冒涜と考え、イエス様を殺そうとしました。

 それに対してイエス様は、ご自身が父なる神様がしておられることを見て行っていること、また、父なる神様が御子イエス様を愛して、ご自分がなさることをすべて示しておられるのだとおっしゃいました。さらに、イエス様はユダヤ人たちが驚き怪しむために、38年間病気で臥せっていた人が、たちまち癒された奇跡よりも、さらに大きなわざを御子であるイエス様にお示しになり、それをイエス様がなさるのだとおっしゃいました。そのわざというのが、死人のよみがえりです。

神様は、すべてのものに命を与えられました。人間が生きるのも死ぬのもすべて神様がお定めになっていることです。ですから、父なる神様は、死人を生かし、いのちをお与えになることもおできになります。これは、人間には不可能なわざです。このように死人の復活ということが現実に起こったなら、それは神様の御業があらわされたしるしです。イエス様は、そのしるしをご自身がなさると、彼らに対して語っておられます。イエス様は、ご自身が命を与えようと思う者にいのちを与えるとおっしゃいました。それは、ご自身がいのちを持っていなければできないことです。イエス様は、ご自身がいのちの源であり、いのちを御心に従って与えることがおできになると宣言されました。

ヨハネの福音書5章22〜24節

22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。

23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

(新改訳第三版)

 イエス様は、ご自分が与えようと思う者にいのちを与えることがおできになるとおっしゃいました。また、さばきをくだすこともおできになると教えられました。さばきは父なる神様がお下しになるものです。そのさばきの権限を、父なる神様は、御子イエス様におゆだねになったと、イエス様はおっしゃいました。

 イエス様が目に見えるかたちでさばきを下されたら、当然、それを見た人はイエス様を神様として畏れます。そして、イエス様がおっしゃっていることを信じ、父なる神様を畏れ敬うようになります。ただ、イエス様はこのしるしを通して、人間を恐怖によって支配しようとしておられるのではありません。すべての人がそのしるしを見てイエス様をまことの神様だと信じ、イエス様を通して永遠のいのちを持つためです。

ヨハネの福音書5章24節

24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

(新改訳第三版)

 私たちは、肉体において死を免れることはできません。しかし、本当に恐ろしいのは、霊における死です。これを聖書は第二の死と呼んでいます。その死は、永遠に消えることのない火で焼かれ続ける地獄です。永遠に終わることのない苦しみです。その死は、神様のみもとを離れ自分勝手に生きている人間、罪ある人間が行きつくところです。私たちも、生まれながらの生き方をしているなら、この第二の死を迎えることになります。そのような、私たちを救うためにイエス様は人間となってこの世に来てくださいました。そして、当時の人々だけでなく、すべての時代の人々に、聖書を通して救いの約束を与えてくださいました。

 イエス様が語られるみことばを聞いて、イエス様をお遣わしになったまことの神様に立ち返るなら、永遠のいのちを持つことができます。そして、さばきに会うことがなく、死からいのちに移されます。さばきを免れるには、自分が神様に対して罪を犯していることを認めること、さばきを受ける者であることを認めて、自分の罪のために十字架で命を捨ててくださったイエス様を信じることです。ほかに道はありません。どうぞ、一人ひとりが、神様の愛を受けていること、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架で命を捨てるほどに愛してくださっていることを覚えてください。そして、イエス様が語られた救いの約束を受け取り、永遠のいのちをもって、この地上の世の生涯においても天国の希望を持ち、いつもともにいてくださるイエス様と一緒に歩ませていただきたいと願います。